2020年7月27日月曜日

最終兵器の目  崇峻天皇3

  『日本書紀』慶長版は

元年春三月立大伴糠手連女小手子爲妃是生蜂子皇子與錦代皇女是歲百濟國遣使幷僧惠倊令斤惠寔等獻佛舍利百濟國遣恩率首信德率蓋文那率福富味身等進調幷獻佛舍利僧聆照律師令威惠衆惠宿道嚴令開等寺工太良未太文賈古子鑪盤博士將德白昧淳瓦博士麻奈文奴陽貴文㥄貴文昔麻帝弥畫工白加蘇我馬子宿祢請百濟僧等問受戒之法以善信尼等付百濟國使恩率首信等發遣學問壞飛鳥衣縫造祖樹葉之家始作法興寺此地名飛鳥真神原亦名飛鳥苫田是年太歲戊申二年秋七月壬辰朔遣近江臣溝於東山道使觀蝦夷國境遣完人臣鴈於東海道使觀東方濱海諸國境遣阿倍臣於北陸道使觀越等諸國境三年春三月學問尼善信等自百濟還住櫻井寺冬十月入山取寺材是歲度尼大伴狹手彥連女善德狛夫人新羅媛善妙百濟媛妙光又漢人善聡善通妙德法定照善智聡善智惠善光等鞍部司馬達等子多湏奈同時出家名曰德齊法師

【元年の春三月に、大伴の糠手の連が娘の小手子を立てて妃とした。この妃は蜂の子の皇子と錦代の皇女とを生んだ。この歳に、百済国が、使者と一緒に僧の惠總と令斤と惠寔達を派遣して、佛の骨を献上した。百済国は恩率の首信と徳率の蓋文と那率の福富味身達を派遣して、年貢を献上し併せて佛の骨と僧の律師の聆照と令威と惠衆と惠宿と道嚴と令開達と寺の大工の太良未太と文賈古子と鋳造技術者の將徳の白昧淳、瓦技術者の麻奈文奴と陽貴文と㥄貴文と昔麻帝禰、装飾技術者の白加を献上した。蘇我の馬子の宿禰は、百済の僧達に頼んで、戒律を授かる方法を聞いた。善信の尼僧達を、百済国の使者の恩率の首信達と一緒に、学問のために出発させた。飛鳥の衣縫の造の祖の樹葉の家を壊して、法興寺を作り始めた。ここを飛鳥の眞神の原と名付けた。あるいは飛鳥の苫田と名付けた。この年は、太歳が戊申だった。二年の秋七月の壬辰が朔の日に、近江の臣の滿を東山道の使者として派遣して、蝦夷の国の境を見分させた。

宍人の臣の鴈を東海道の使者として派遣して、東の方の海沿いの諸国の境を見分させた。阿倍の臣を北陸の道の使者として派遣して、越達の諸国の境を見分させた。三年の春三月に、学問する尼の善信達が、百済から還って、桜井寺に居住した。冬十月に、山に入って寺の材料の木を取った。この歳に出家した尼は、大伴の狹手彦の連の娘の善徳と大伴の狛の夫人の新羅の媛の善妙と百済の媛の妙光と、それから漢人の善聰と善通と妙徳と法定照と善智聰と善智惠と善光達だった。鞍部の司馬達等の子の多須奈も一緒に出家した。徳齊法師と名付けたという。】とあり、標準陰暦と合致する。

法興寺の建立の記述が述べられているが、前にも書いたように、考古学資料で考えれば、寺の基礎の層にあった須恵器を焼いた窯の狭山池の樋管が613年と同定され、それ以降の須恵器が使用されているのだから、625年着工だと述べた。

この須恵器が別の狭山池窯の作とされると言う考古学者も存在するが、寺の建立前に生活していた、前項の萬達が住んでいた場所の上に建立したのであり、『隅田八幡神社人物画像鏡』の「癸未年」に意柴沙加宮の彦人に送ったのが563年では彦人は生まれていないので623年である。

『上宮聖徳法王帝説』の裏書に「或本云播磨水田二百七十三町五段廿四歩云云又本云三百六十町云云 有本云請願造寺恭敬三寶十三年辛丑春三月十五日始浄土寺云云」と記述されるが、播磨の水田や請願造寺恭敬三寶はこの法興寺の記述であるが、何故か急に舒明天皇13年に飛んで浄土寺と名前を変えてしまっている。

そして、注書で舒明天皇から654年の孝徳天皇の死亡までを記述してからまた元の「曾我大臣」、 「推古天皇卅四年秋八月 嶋大臣臥病 爲大臣之男女」、「又本云廿二年甲戌秋八月大臣病臥之卅五年夏六月辛丑薨之」と馬子の話に戻している。

これは、『上宮聖徳法王帝説』を記述した人が、『日本書紀』と合わない「十三年辛丑」が記述された資料を見たため、浄土寺を持ってきてあいまいにして注釈を入れたと考えるべきで、辛丑は敏達天皇十年581年か舒明天皇13年641年で、「曾我大臣云豊浦大臣云云觀勒僧正惟古天皇即位十年壬戌來之」と推古10年以降の馬子や蝦夷の話を記述しているのだから581年では奇妙である。

従って、法興寺建立は641年で、『船王後墓誌』に「阿須迦天皇之末 歳次辛丑十二月」とこの年に飛鳥天皇が亡くなっていて、『上宮聖徳法王帝説』の裏書の文末の「又本云廿二年甲戌秋八月大臣病臥之卅五年夏六月辛丑薨之」と普通に読めば『日本書紀』の推古天皇三四年「夏五月戊子朔丁未大臣薨」の記述間違いと言われそうだが、1年ずれ、月もずれていて、実際は「辛丑薨之」が「十三年歳次辛丑」に続く記述なのではと考えている。

このように、注釈・解説というのは、自分の理解を越えた事象に対しては、まことしやかに理屈をこねて、知ったかぶりをする、現代と全く同じであり、私も同じ轍を踏まないように、証拠だけを見つけてまとめて世間に示して判断してもらう方法を続けたい。


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