2019年8月2日金曜日

最終兵器の目 崇神天皇8

 『日本書紀』慶長版は
六十年秋七月丙申朔己酉詔群臣曰武日照命從天將來神寶藏于出雲大神宮是欲見焉則遣矢田部造遠祖武諸隅而使獻當是時出雲臣之遠祖出雲振根至于神寶是往筑紫國而不遇矣其弟飯入根則被皇命以神寶付弟耳美韓日狹與子鸕濡渟而貢上既而出雲振根從筑紫還來之聞神寶獻于朝廷責其弟飯入根曰數日當待何恐之乎輙許神寶是以既經年月猶懷恨忿有殺弟之志欺弟曰頃者於止屋淵多生菨願共行欲見則隨兄而往之先是兄竊作木刀形似真刀當時自佩之弟佩真刀共到淵頭兄謂弟曰淵水清冷願欲共游沐弟從兄言各解佩刀置淵邊沐於水中乃兄先上陸取弟真刀自佩後弟驚而取兄木刀共相擊矣弟不得拔木刀兄擊弟飯入根而殺之故時人歌之曰椰句毛多菟伊頭毛多鶏流餓波鶏流多知菟頭邏佐波磨枳佐微那辭珥阿波禮
【六十年の秋七月の朔が丙申の己酉の日に、群臣に「武日照命が天から神宝を出雲大神の宮の倉に納めようと帰って来た時に見せなさい」と詔勅した。それで矢田部造の遠祖の武諸隅を派遣して献上させようとした。この時に、出雲臣の遠祖の出雲振根に神宝が手に入ったので、筑紫国に報告に行っていて会えなかった。その弟の飯入根が、皇命を受けて、神宝を、弟の甘美韓日狹と子の鸕濡渟に持たせて貢献した。その後で出雲振根が、筑紫から帰って来て、神宝を朝廷に献上したと聞いて、その弟の飯入根を、「どうして数日待たないのか。何を恐れて、軽々しく神宝を渡すことを許した」と責めた。それで、年月が経っても、根に持って、弟を殺そうと思い弟を騙して 「この頃、止屋の淵に菨葉が多く生えた。出来たら一緒に行ってみてほしい」といった。それで兄について行った。これより前に、兄が密かに木刀を作った。形は真剣に似せた。その時は自分の身に着けた。弟は真剣を身に着けていた。二人とも淵の畔について、兄が弟に「淵の水澄んで冷たい。できたら一緒に水浴びをしよう」と言った。弟は兄の言葉に従って、互いに身に着けた刀を外して、淵の畔に置いて、水の中で入った。それで兄が先に陸に上って、弟の真剣を取りて自分の身に着けた。後で弟が驚いて兄の木刀を取った。互いに撃ち合った。弟は、木刀を抜くことができなかった。兄は、弟の飯入根を撃ち殺した。それで、人が歌って言った()】とあり、六十年七月丙申朔は標準陰暦と合致する。
この説話は『舊事本紀』に「八世孫物部武諸遇連公・・・此連公磯城瑞籬宮御宇天皇即位六十年詔群臣日武日照命從天將來神寶藏于出雲大神宮是欲見焉則遣矢田部造遠祖武諸遇命使分明檢定獻奉」と合致するが、「弟大新河命此命纏向珠城宮御宇天皇御世元爲大臣次賜物部連公姓則改爲大連奉齋」と纏向珠城宮で物部姓を貰うのであり、磯城瑞籬宮ではまだ物部ではなく、「物部十市大連而令冶石上神寶盖是其縁也物部武諸遇連公女子時妓爲妻生五男弟建新川命倭志紀縣主等祖」と娘婿十市根の弟建新川が志紀縣主等祖と縣主に任命されておらず神武東侵前の説話だ。
これは「弟出雲醜大臣命・・・此時也倭志紀彦妹真鳥姬爲妻生三兒弟出石心大臣命此命掖上池心宮御宇天皇御世爲大臣奉齋大神新河小楯姬為妻」と出雲醜と伊香色雄命が同名の姫を娶り、次の世代が十市根や新河で、十市根イコール武諸遇を思わせる。
そして、「八世孫物部武諸遇連公」は尾張氏「七世孫建諸隅命・・・大海姫命・・・此命礒城瑞籬宮御宇天皇立爲皇妃誕生一男二女召八坂入彦命次中城入姫命次十市瓊入彦命」と同世代で「五十瓊敷倉皇子命謂妹大中姬命」、「大中姬命遂授物部十市大連」と十市瓊入彦と十市根も「十市」宮の人物で物部武諸遇と尾張氏の建諸隅は同一人物の可能性少なくとも義兄弟の可能性がある。
すなわち、この説話は天皇の璽を物部氏が手に入れた説話を基にしたもので、筑紫と物部氏が天皇の璽を持っている出雲を取り合って、物部氏が勝利した説話のようだ。

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