2019年7月26日金曜日

最終兵器の目 崇神天皇5

  『日本書紀』慶長版は
未幾時武埴安彥與妻吾田媛謀反逆興師忽至各分道而夫從山背婦從大坂共入欲襲帝京時天皇遣五十狹芹彥命擊吾田媛之師即遮於大坂皆大破之殺吾田媛悉斬其軍卒復遣大彥與和珥臣遠祖彥國葺向山背擊埴安彥爰以忌瓮鎮坐於和珥武鐰坂上則卒精兵進登那羅山而軍之時官軍屯聚而蹢跙草木因以号其山曰那羅山更避那羅山而進到輪韓河埴安彥挾河屯之各相挑焉故時人改号其河曰挑河今謂泉河訛也埴安彥望之問彥國葺曰何由矣汝興師來耶對曰汝逆天無道欲傾王室故舉義兵欲討汝逆是天皇之命也於是各爭先射武埴安彥先射彥國葺不得中後彥國葺射埴安彥中胸而殺焉其軍衆脅退則追破於河北而斬首過半屍骨多溢故号其處曰羽振苑亦其卒怖走屎漏于褌乃脱甲而逃之知不得免叩頭曰我君故時人号其脱甲處曰伽和羅褌屎處曰屎褌今謂樟葉訛也又号叩頭之處曰我君是後倭迹迹日百襲姫命爲大物主神之妻然其神常晝不見而夜來矣倭迹迹姫命語夫曰君常晝不見者分明不得視其尊顏願暫留之明旦仰欲覲美麗之威儀大神對曰言理灼然吾明旦入汝櫛笥而居願無驚吾形爰倭迹迹姫命心裏密異之待明以見櫛笥遂有美麗小蛇其長大如衣紐則驚之叫啼時大神有耻忽化人形謂其妻曰汝不忍令羞吾吾還令羞汝仍踐大虛登于御諸山爰倭迹迹姫命仰見而悔之急居則箸撞陰而薨乃葬於大市故時人号其墓謂箸墓也是墓者日也人作夜也神作故運大坂山石而造則自山至于墓人民相踵以手遞傳而運焉時人歌之曰飫明佐介珥菟藝廼煩側屢伊辭務邏塢多誤辭珥固佐縻固辭介氐務介茂
【まだそれほど経たずに、武埴安彦と妻の吾田媛と、反逆を企てて、挙兵してたちまちやって来た。夫々の道に分かれて、男は山背から、女は大坂から、一斉に入り込んで、帝都を襲撃しようとした。その時に天皇は、五十狹芹彦命を派遣して、吾田媛の軍を攻撃した。すなわち大坂からの軍を遮って、大破した。吾田媛を殺して、のこらずその軍兵を斬った。また大彦と和珥臣の遠祖の彦國葺とを派遣して、山背に向って、埴安彦を撃たした。そこで、神に供える甕を、和珥の武鐰の坂の上に供えた。そうすると精兵を率いて、那羅山に登って進軍した。その時に官軍が一堂に集まり、蹄で草木を踏んだ。それでその山を、那羅山と名付けた。また那羅山を避けて、進んで輪韓河に着いて、埴安彦と、河を挾んで留まって、互いに挑みあった。それで、人は、改めてその河を、挑河と名付けた。今、泉河というのは訛ったものだ。埴安彦は望み見て、彦國葺に「どうして、お前は挙兵してやって来た」と聞いた。「お前は、海人にそむいて道を外した。王室を傾けようとしている。だから、義兵を集めて、お前の反逆軍を討とうとしている。これは、天皇の命令だ」と答えた。そこで各々先を争って射ちあった。武埴安彦は、先に彦國葺を射ったが、当たらなかった。後に彦國葺が、埴安彦を射ったら胸に当てて殺した。反逆軍達は脅えて退げた。それを追って河の北で破った。それで首を斬られた反逆軍は半数を超えた。屍がたくさん溢れかえった。それで、そこを羽振苑となづけられた。また、その反逆軍が怖れて逃げて、屎が、褌から漏れおちた。それで甲を脱いで逃げた。殺されることが逃れられないと知って、頭を叩いて、「我が君」といった。それで、人は、その甲を脱いだところを伽和羅となづけて、褌より屎したところをを屎褌といった。いま、樟葉というのは訛ったものだ。又、頭を叩いたところを、我君となづけた。この後に、倭迹迹日百襲姫命は、大物主神の妻なった。しかしその神は常に昼間は会えず、夜だけやって来た。倭迹迹姫命は、夫に「あなたはいつも昼間に会えず、その尊顔をよく視ることができない。できましたら暫く留っていてください。夜が明けて、仰ぎ見てうるわしい振る舞いを見たいです」と語った。大神は「言いたいことは解った。私は明朝、お前の化粧道具入れに入っている。できたら私の姿に驚かないでくれ」と答えた。そこで倭迹迹姫命は、心の中に密に怪しんだ。夜が明けるのを待って化粧道具入れを見たら、とてもうるはしい小蛇がいた。その長さと太ささは衣の紐のようだった。それで驚いて啼き叫んだ。その時大神は恥じて、直ぐに人の姿に化けた。その妻に「お前は、表情を隠さずに私を辱めた。私は帰って、お前を辱めるぞ」と言った。それで広い荒野を踏み行き、御諸山に登った。それで倭迹迹姫命は仰ぎ見て、悔やんでしゃがみこんだ。それで箸を陰に撞いて薨じた。すなわち大市に葬った。それで、人は、その墓を、箸墓となづけた。この墓は、昼間は人が作り、夜は神が作った。それで、大坂山の石を運んで造った。すなわち山から墓に至るまで、人民があいついで、手渡しで運んだ。人は()と歌った。】とある。
この時の天皇の領土は山代の南と河内の東ということが解り、淀川が激戦地だったようだ。
また、大物主説話も『古事記』の「勢夜陀多良比賣其容姿麗美故美和之大物主神見感而其美人爲大便之時化丹塗矢自其爲大便之溝流下突其美人之富登尓其美人驚而立走伊須須岐伎乃將來其矢置於床邊忽成麗壮夫即娶」が原本で、もちろん、国譲り神話の説話だ。
崇神天皇の時代なのに、縄文から続く蛇の神の大物主と描かれているのは、人型の神ではなく動物の神、猿や烏・蜘蛛を国神とした、天神が侵入する以前の神として記述され、『古事記』の出典どおり神武東侵の記事が崇神紀に紛れ込ませた説話、神武東征とセットの説話、神武天皇の皇后の母親、「富登多多良伊須須岐比賣命」の母「勢夜陀多良比賣」の説話であることが解る。
そして、「大虛登于御諸山」と空虚な空を天ではなく「大虛」と記述し、天が空ではなく、『山海經』と同じ感覚の上流の領域が天で、日本では対馬海流の上流が天で、『山海經』でも海內經の「有國名曰朝鮮天毒其人水居・・・西南黑水之閒有都廣之野后稷葬焉其城方三百里蓋天地之中素女所出也」と黄海に天毒がいて天地之中があり、地が中国本土を含むのだから海內經の天は黄海の南である。

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