2019年7月24日水曜日

最終兵器の目 崇神天皇4

 『日本書紀』慶長版は
九年春三月甲子朔戊寅天皇夢有神人誨之曰以赤盾八枚赤矛八竿祠墨坂神亦以黑盾八枚黒矛八竿祠大坂神四月甲午朔己酉依夢之教祭墨坂神大坂神十年秋七月丙戌朔己酉詔群卿曰導民之本在於教化也今既禮神祇灾害皆耗然遠荒人等猶不受正朔是未習王化耳其選群卿遣于四方令知朕憲九月丙戌朔甲午以大彥命遣北陸武渟川別遣東海吉備津彥遣西道丹波道主命遣丹波因以詔之曰若有不受教者乃舉兵伐之既而共授印綬爲將軍壬子大彥命到於和珥坂上時有少女歌之曰瀰磨紀異利寐胡播揶飫迺餓鳥塢志齊務苫農殊末句志羅珥比賣那素寐殊望於是大彥命異之問童女曰汝言何辭對曰勿言也唯歌耳乃重詠先歌忽不見矣大彥乃還而具以狀奏於是天皇姑倭迹迹日百襲姫命聰明叡智能識未然乃知其歌恠言于天皇是武埴安彥將謀反之表者也吾聞武埴安彥之妻吾田媛密來之取倭香山土裹領巾頭祈曰是倭國之物實則反之是以知有事焉非早圖必後之於是更留諸將軍而議之
【九年の春三月の朔が甲子の戊寅の日に、天皇の夢に神が立ち、「赤盾を八枚・赤矛を八竿で、黒坂神を祠りなさい。また黒盾を八枚・黒矛を八竿で、大坂神を祠りなさい」と諭された。四月の朔が甲午の己酉の日に、夢の教えに従って、墨坂神・大坂神を祭った。十年の秋七月の朔が丙戌の己酉の日に、群卿に「人民を指導する基本は、説き教えることにある。今、既に神祇を礼拝して、災害は全て見られなくなったが、遠くの荒果てた国の人達は、まだ天子の統治を受け入れていない。これはいまだに天子の徳によって人々が従うことを知らないからだ。群卿を選んで、四方に派遣して、私の掟を知らしめろ」と詔勅した。九月の朔が丙戌の甲午の日に、大彦命を北陸に派遣した。武渟川別を東海に派遣した。吉備津彦を西道に派遣した。丹波道主命を丹波に派遣した。それで「もし教を受け入れない者がいたら、直ちに挙兵して伐て」と詔勅した。すでにみな印綬を授けられて將軍に就任していた。壬子の日に、大彦命が、和珥坂のほとりに着いた。その時に少女がいて、()と歌った。そこで大彦命はあやしいと思って、童女に「お前の言葉は何事だ」と聞くと、「何も言っていない。ただ歌っただけだ」と答えた。それで、再び今の歌を歌って、たちまち見えなくなった。大彦はそれで帰還して、つぶさに状況を奏上した。そこで、天皇の姑の倭迹迹日百襲姫命は、賢い知恵で、よく何事かが起こる前に考えなさい。すなわちその歌の疑わしさが解って、天皇に、「これは、武埴安彦が謀反を起こす兆しだ。私は、武埴安彦の妻の吾田媛が、密かにやって来て、倭の香山の土を取って、ひれを頭に被って『私は、倭国の大本にしてほしい』と祈り、そうして帰っていったと聞いた。この祈りで、異変を知った。早く対処しなければ、必ず後れを取ります」と言った。そこで、さらに將軍達を留めて、話し合った。】とある。
紀元前89年の崇神九年四月甲午朔は3月30日で九年春三月甲子朔は標準陰暦と合致せず、紀元前58年崇神40年なら共に合致し、前項の紀元前53年の元号の開始となる王朝建国の直前で、理に適い、神武東征の時の「國見丘上則有八十梟帥又於女坂置女軍男坂置男軍墨坂置焃炭其女坂男坂墨坂之号由此而起也復有兄磯城軍」と同じ内容で、楯・矛の代わりに「此埴造作八十平瓮天手抉八十枚」で、武埴安彦が兄磯城で大彦が弟磯城で、伊香色雄が神武天皇となり同じ構図である。
武埴安彦の妻の吾田媛の名は『日本書紀』の神武紀「太子長而娶日向國吾田邑吾平津媛爲妃」の吾田邑の姫すなわち吾田姫で、「火闌降命即吾田君小橋等之本祖也」と『日本書紀』の神武天皇の世界と重なってしまう。
『舊事本紀』の崇神紀にはこの説話が無く、神武東征に記述され、『古事記』は崇神記に記述され、『古事記』の崇神記が『舊事本紀』の神武紀で、『日本書紀』は神武紀が『古事記』の崇神記で『日本書紀』の崇神紀が『舊事本紀』の神武紀に対応しているようだ。

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