2019年6月10日月曜日

最終兵器の目 神武東征10

 『日本書紀』慶長版は
十有二月癸巳朔丙申皇師遂擊長髄彥連戰不能取勝時忽然天陰而雨氷乃有金色靈鵄飛來止于皇弓弭其鵄光曄煜狀如流電由是長髄彥軍卒皆迷眩不復力戰長髄是邑之本号焉因亦以爲人名及皇軍之得鵄瑞也時人仍号鵄邑今云鳥見是訛也昔孔舍衞之戰五瀬命中矢而薨天皇銜之常懷憤懟至此役也意欲窮誅乃爲御謠之曰()因復縱兵忽攻之凢諸御謠皆謂來目歌此的取歌者而名之也時長髄彥乃遣行人言於天皇曰嘗有天神之子乗天磐舩自天降止号曰櫛玉饒速日命是娶吾妹三炊屋媛遂有兒息名曰可美真手命故吾以饒速日命爲君而奉焉夫天神之子豈有兩種乎奈何更稱天神子以奪人地乎吾心推之未必爲信天皇曰天神子亦多耳汝所爲君是實天神之子者必有表物可相示之長髄彥即取饒速日命之天羽羽矢一隻及步靫以奉示天皇天皇覽之曰事不虛也還以所御天羽羽矢一隻及步靫賜示於長髄彥長髄彥見其天表益懷踧踖然而凶器已構其勢不得中休而猶守迷圖無復改意饒速日命本知天神慇懃唯天孫是與且見夫長髄彥禀性愎佷不可教以天人之際乃殺之帥其衆而歸順焉天皇素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效則褒而寵之此物部氏之遠祖也
【十二月朔が癸巳の丙申日に、皇軍はついに長髓彦を撃とうとした。連戦勝つことが出来なかった。その時ににわかに天が陰って氷雨が降った。金色に反射した霊力をもっていそうな鵄がいて、飛んで來て天皇の弓の弭に止まった。その鵄がさんさんと光り輝き、稲光のようだった。そのため、長髓彦の軍兵は、皆、とまどい、眩しくて、力が発揮できずに戦えなかった。長髓は邑の本来の呼び名だ。それで人名とした。皇軍は、鵄の目出度いしるしを得たため、当時の人が鵄邑と名付けた。今鳥見というのは、訛ったものだ。昔、孔舍衞の戦いで、五瀬命が、矢にあたって薨じた。天皇はこれを思って、常に怒り恨んだ思いがあった。この戦いに至って、感極まって誅殺しようとした。すなわち謠って()それでまた兵を放ってすみやかに攻めた。すべてのもろもろの謠を、皆来目歌という。これは歌う人をとって名付けた。この時、長髓彦は、人を派遣して、天皇に、「むかし、天神の子がいて、天の磐船に乗って、天から降って来た。櫛玉饒速日命と言った。これは私の妹の三炊屋媛を娶って、兒が生まれた。名を可美眞手命という。それで、私は、饒速日命を、君主として仕えてきた。それなのに天神の子が、どうして二柱いらっしゃるのか。どうして更に天神の子と名乗って、人の土地を奪うのか。私が推し量ったところ、あなたは偽っていると思った」と言上した。天皇が、「天神の子は多くいる。お前の主君とするのは、これが本当の天神の子なら、必ずしるしの物があるはずだ。見せてみろ」と言った。長髓彦は、すなわち饒速日命の天羽羽矢を一隻、および歩靫を取って、天皇に示した。天皇は、御覧になって、「嘘ではないな」と言って、帰って御所の天羽羽矢を一隻及び歩靫を持って、長髓彦に示した。長髓彦は、その天のしるしを見て、ますますおどおどした。しかし凶器をすでに構えていたので、その勢で、途中でやめることができなかった。またなほ筋が通らない思いのままに、改心することが無かった。饒速日命は、もともと天神で礼儀正しく、天下を統治するのはただ天孫のみかといふことを知っている。また長髓彦の見受ける態度は傲慢で逆らい、天人との違いを教えることができないので、殺した。配下はみなを率いて帰順した。天皇は、もともと饒速日命は、天から降ったということを聞いていた。それで、今約束を果たして臣下の真心の印とし、褒めてかわいがった。これが物部氏の遠祖だ。】とある。
この、「十二月癸巳朔」は標準陰暦では12月2日で11月は小の月なので大の月なら合致するが、1つ矛盾が有って、帰順した主語が抜けていて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版に「宇摩志麻治命本知天神慇懃唯天孫是與且見夫長髓彦凛性戻浪不可教以天人之際乃謀殺舅帥衆歸順焉」と宇摩志麻治が長髓彦を殺して帰順していて、『日本書紀』の主語の天皇は可美眞手とすれば整合性がある。
すなわち、この神武天皇は可美眞手で、義理の兄弟から皇位を奪った、長髓彦の父が天皇だったことを示していて、これで、猾・高倉下・磯城彦に加えて可美眞手が神武天皇として描かれ、以後、この神武東征の内容が孝元・開化・崇神天皇の時代の説話であったことを説明していこうと思う。

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