2019年2月27日水曜日

最終兵器の目 序

 日本古代史を記述した史書は私たちが理解できる文字として漢字で書かれた『日本書紀』・『古事記』・『先代旧事本紀』(古書には『舊事本紀』とあるので以降先代を略す)があるが、その他に、私たちが理解できない、所謂神代文字で書かれた文献がある。
しかし、これら史書は神代文字文献を含めて、漢字の知識抜きに記述したとは思われない。
なぜなら、どちらも、天上世界から降り立った神を始祖とする神話を記述するということは、中国語の天と地を輸入しないと意味が通らないことから理解できる。
中国文献『三海經』で、「天」は中原が天下、西の山の湯・水が涌くところが天、「大荒西經」に「有天民之國・・・有北狄之國」とその北部に天民の国が存在しその北が北狄で天民は夷蛮人ではない。
そして、「南山經」に「天虞之山」、「西山經」に「天帝之山」・「曰槐江之山・・・有天神焉」・「赤水出焉而東南流注于氾天之水」と中原を取り囲むように天が有り、「天山多金玉有青雄黃英水出焉而西南流注于湯谷」と天山は水が湧き出るところで、「北山經 」に「天池之山其上無草木多文石」と池があり、「中山經」「尸水合天也」と天地が合わさる河の流れがある。
これらを合わせた中国人の領域の「五臧山經」に「天下名山 經五千三百七十山 六萬四千五十六里 居地也・・・天地之東西二萬八千里 南北二萬六千里 出水之山者八千里 受水者八千里・・・此天地之所分壤樹穀也」と人が住む土地が合計6.4万里の広さで、そのうち、「中經之山大凡百九十七山二萬一千三百七十一里」2.1万里、そして、東西2.8万里、南北2.6万里が天地で水が出る山とそれを受ける場所が天地を分ける場所だと述べている。
そして、「大荒西經」に「吴姖天門日月所入」と西2.8万里に 吴姖天門があって日月が沈むところだとして、『周碑算經』の里単位1里70mなら、千九百Kmが中国人の世界となり、「中經之山」が天下となる。
すなわち、天は上空ではなく山岳地帯、水が湧き出るところであり、漢代になり里単位が1里400mになって変質して天が天空となったと考えられる。
水源地帯が天と呼ばれたが「海内經」「西南黑水之閒有都廣之野・・・蓋天地之中」と渤海も天地の中と沿岸から離れた潮の流れの上流も天と呼ばれ、これが、日本列島の漢字を理解し、漢より前に日本人の常識となり、漁場も人が住む天地、黄海や東シナ海が天、陸地が地で天下と呼ぶことが常識となった。
しかし、漢字が流入して以降、天を天上・天空と理解することが常識となり、史書もそれに倣い、現実離れをしたものになったのであり、神代文字の文書だからと言って、「あま」を天空と理解している文書は漢字が流入した後の漢字を理解している人々の文書で、だいたいが、「くに」などの組織が記述され、「きみ」などの地位が記述されたとき、既に神代とは言えず、漢字を理解し『日本書紀』の雄略紀前までの歴史を理解して、文書が発見された地域の歴史を漢字の読めない人々に流布したものと思う。
漢字が流入した時、応神天皇は『論語』や『千字文』を一緒に取り入れたように、筑紫や出雲など、硯が流入していた時に、手本として『易経』などの文書が入り、中国人も中国の常識も流入していたのであり、漢字の音を利用するだけでなく、字義も考えた文字選びをしていると考えなければならず、その前提で、史書を検証していきたい。
但し、一書や小文字で記述された『日本書紀』執筆時に付加されたと思われる部分は、後代の視点が入った記述なので重視するのを控え、解説文で重要と思われるところは説明する。
また、『古事記』・『舊事本紀』も同様だが、両書は私史でより主観が入るので、『日本書紀』と異なる部分を重点的に、考古学資料も含めて検証した。
但し、考古学は骨などの組織の炭素代謝物から縄文時代の食生活を特定しているが、『山海經』では各地域によって、「君子國・・・食獸」・「青丘國・・・食五穀」・「黑齒國・・・食稻」・「蒍國黍食」・「中容人食獸木實」・「大人之國・・・黍食・・・大青蛇・・・食麈」と食生活が異なり、一つの考古資料で画一的に決めつけることは避けようと考えている。
私は、史書を検証に使う研究者は史書を間違いと決めつけてはいけない、間違いと決めつけるなら、一切証明に使用してはいけない、そして、史書が間違いでないとする場合は検証で史書に矛盾があった場合、論証する責任があると考えてきた。
このシリーズはそれを実証しようと思っている。
なお、神や天皇などに敬称・尊敬語を使うと意味が脚色され、歴史を捻じ曲げる可能性があり使いませんので無礼とは存じますがご容赦ください。

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