2019年3月1日金曜日

最終兵器の目  日本書紀巻第一  神生1

 『日本書紀』 原文慶長版 日本書紀巻第一 神代上に
古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬而含牙及其清陽者薄靡而爲天重濁者淹滯而爲地精妙之合搏易重濁之凝竭難故天先成而後定然後神聖生其中焉故曰開闢之初洲 壞浮漂譬猶游魚之浮水上也于時天地之中生一物狀如葦牙便化爲神號國常立尊次國狹槌尊次豊斟渟尊凡三神矣乾道獨化所以成此純男
 【昔、天地を分けてなく(剖は人が能動的に分ける意味)男女の地位が別れていない、卵の中身のようにもやもやとして海はひろくてくらく(涬溟『荘子』)統治する人がいないバラバラだったが、芽を含み清々しい陽だまりは埃が舞って飛びかう(淮南子·天文訓高誘注)海流の上流の海人が住む地域があり、潮が重く濁り滞っていたところに人住む土地ができ、海人の住む場所は繊細かつ巧みで捉えやすく、開拓地は重く濁っていて渇かないため、先に海人の住む地が繁栄し、開拓地も国が定まり、尊く清らかな人が生まれた。すなわち、はじめて国を作った時、国は浮いて壊れて漂い例えば魚が泳ぐような状態の時、海人の地と開拓地の間の黄海に葦の芽のようにまだ政治力を持っていない人が生まれ、名を國常立と呼んだ。次は國狹槌、その次は豊斟渟で三人は君子の道を一人で具現する(乾道:易経)たった一人の男だ。】とある。
すなわち、ここまでは、史書は国を統治する人の歴史なのだから、主語はこの王家の始祖で、始祖が現れる前は中国(漢以前)で「天」と呼ばれた地域に住んでいた始祖が、始祖になる前は混沌とした状態だったが、始祖が出現しそれが常立という名の人物である。
垂仁紀に橘を常世の国から持ってきたが、この橘は萩と済州島にのみ自生するコウライタチバナが有り、常世は済州島で常立はその出身かも知れないが、ここでは、創始者が現れたその場所「天地の中」が国で「常」は国の中の地名である。
 次に國狹槌、次に豊斟渟、この2神のうち、豊斟渟はこの時点で豊国は無く後から付加されたものと解り、豊に対する国と言うことは、「常」や「狹」は有る地域の地名と考えた方が理に適う。
従って、この国は「泉津日狹女」・「天狹田」・一書の月読と天照の諍いで「鰭廣鰭狹」と出現し、蛭子を水葬したように、海流に乗って流れ着く場所が対馬で、対馬が黄泉の国となり、月読は対岐黄泉が語源と考えられるからで、海人が船に乗って最初に流れ着く場所を考えれば説得力があり、その海流の上流が「天地の中」の黄海でその海流の上流が天である。
また「獨化所以成此純男」の記述は矛盾し、本来、1神だから獨神・純男でこの3神は本来の神に加えたもので、「如葦牙便化爲神」の説明に一番釣り合う神様は「葦牙彦舅」で、「常立」が2神いて「天・国」と分けなければならないということは、少なくとも2国それぞれに同じ名前の神がいて言い分けなければならないので天と国に分けたことを示す。
これは姓の始まりで、創始者は一神で姓はいらず、「葦牙彦舅」は「彦舅」が神様の事と思われて姓がなさそうで、創始者にふさわしく、神もある地域の指導者(彦の長老)の意味で人である。
そして、『古事記』原文 前川茂右衛門 寛永版は
天地初發之時於髙天原成神名天之御中主神次髙御産巣日神次神産巣日神此三柱神者並獨神成坐而隠身也次國稚如浮胎而
 と姓が天で「中主」、『先代旧事本紀』は「天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊」と姓が国で狭霧が名と記述し、葛城氏の始祖神は中主、物部氏の始祖神は狭霧で『日本書紀』は物部氏から王朝を奪ったことを示し、「三毛入野」が熊野から常世の国へ隠れる説話があり、紀伊の武内宿祢の末裔が祀る神だ。
さらに、『旧事本紀』「天先成而地後定然後於高天原化」、『古事記』「天地初發之時於髙天原成神」と天地が出来た時に既に「高天原」が存在し、『日本書紀』との前後関係を物語り、『古事記』は「中主」・「産巣日」は取って付けたように最初に付加されている。
すなわち、『日本書紀』のこの三神は本来「葦牙彦舅」一人の説話で、後に常と呼ばれる地域の人物や狹と呼ばれる地域の人物、豊と呼ばれる地域の人物が置き換えて追加した説話で、豊は安芸を中心とした地域、狹は対馬、常は済州島が有力地だ。

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