2019年3月18日月曜日

最終兵器の目 三貴子2

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
伊弉冉尊者葬於出雲國與伯耆國堺比婆之山也 伊弉冉尊葬於紀伊國熊野之有馬村焉
 と、伊弉冉の墓が「出雲國與伯耆國堺比婆之山」と「紀伊國熊野之有馬村」に有ると記述するが、姫は彦と違って国の象徴で姫の墓がこの姫を祀る土地で、『舊事本紀』の王朝の出身は出雲と伯耆の境の国と熊野の国だと述べている。
『古事記』も「伊耶那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」と一方の親は『舊事本紀』の王朝の親と同系統と述べ、『日本書紀』慶長版は
於是素戔嗚尊請曰吾今奉教将就根國故欲暫向髙天原與姉相見而後永退矣勅許之乃昇詣之於天也是後伊弉諾尊神功既畢靈運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隱者矣
【「素戔嗚」が根国に行く前の少しの間、「髙天原」に出向いて姉と合って、別れを告げてから根国に向かいたいと望んだので、これを許して海人の地域に海流を上ってきた。
その後「伊弉諾」は神としての勤めを終え、「靈」(伊耶那美の靈?)を運び遷して「淡路之洲」に忍びやかにお隠れになった】と記述して、「淡路之洲」は淡路島か隠岐の大島への道か解らないが、伊弉冉を葬ったのは伊弉冉が生まれた土地ではないところに葬ったということだ。
再度確認するが、姫は生まれたところで生きそして生まれたところに埋葬されるが、男王は生まれたところを離れ、支配したところに葬られ、姫の名は出生地、男王は出生地か支配地の二通りあるが、多くが役職名すなわち支配地が名前となる。
すなわち、『日本書紀』のこれまでの主人公の伊弉諾・伊弉冉・三貴子すべて隠岐の大島から去り、「淡路洲爲胞意所不快」とした「淡路」に「伊弉諾・伊弉冉」を葬っている不可思議な説話となり、「伊弉諾・伊弉冉」でない不明な二神の観点の説話と思われ、ここに、海人の国天国と隠岐の大嶋の国大国が別れ天地が別れた。
ただし、この淡路は現在の淡路島かどうか不明で、現在の淡路島の地域は汽水域ではなく、名前の由来は国への道が元と考えられ、『日本書紀』の神話は違う場所を示していると考えるべきだろう。
従って、『古事記』前川茂右衛門寛永版は「隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別・・・伊岐嶋亦名謂天比登都柱・・・津嶋亦名謂天之狭手依比賣・・・大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別・・・女嶋亦名謂天一根・・・知訶嶋亦名謂天之忍男・・・兩兒嶋亦名謂天兩屋」と7島を天国の領域と述べ、隠岐の大嶋は天国ではないと述べて、そして、淡路島は天国に含まれておらず、7島の先頭に書かれる「隠伎之三子嶋」の中に淡道や「高天原」があると考えられる。
生んだ神名で興味深いのは、『古事記』前川茂右衛門寛永版に「次生水戸神名速秋津日子神次妹速秋津比賣神」、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版に「次生水戸神名建秋津彦神亦名建秋田命次生妹建秋津姫神」と、安芸は、はじめ「建日別熊襲」と「熊襲」、「肥國謂速日()」と「肥」の領土、そして「豊國謂豊日別」と「豊」と支配者が変わっていて、どの王朝にとっても重要な場所だったということが解る。
これにともなって、『古事記』「土左國謂建依別」・『舊事本紀』「土佐國謂速依別」と同じ構図で、これは元々、九州と土佐は『古事記』前川茂右衛門寛永版に「筑紫国謂白日別豊國謂豊日別肥國謂速日」と、「日国」で、それが、「白」・「豊」・「速」(『山海經』の「三身国」)と呼ばれ、それぞれ分裂し、さらに、速国が肥・熊襲・日向・土佐と分裂したと考えられ、肥と薩摩は共に甕棺が出土して関係が深く、隼人は速人なのかもしれず、「建速須佐之男」はこれを背景にした「日国」の神だろう。
『日本書紀』慶長版はそれを裏づけるように
亦曰伊弉諾尊功既至矣德文大矣於是登天報命仍留宅於日之少宮矣
【「日」の国の「少宮」に報告に帰り住んだ】と述べおそらく伊弉諾の話を記述した時は既に天国から日国に天降りした後で、伊弉諾の国生みは日国(三身国)の指示だったと書き換えた。

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