2019年3月15日金曜日

最終兵器の目 三貴子1

 『日本書紀』 原文慶長版は
是共生日神號大日孁貴此子光華明彩照徹於六合之内故二神喜曰吾息雖多未有若此靈異之兒不冝久留此國自當早送于天而授以天上之事是時天地相去未遠故以天柱舉於天上也次生月神其光彩亜日可以配日而治故亦送之于天次生蛭兒雖已三歳脚猶不立故載之於天磐櫲樟舩而順風放棄次生素戔嗚尊此神有勇悍以安忍且常以哭泣爲行故令國内人民多以夭折復使青山變枯故其父母二神勅素戔嗚尊汝甚無道不可以君臨宇宙固當遠適之於根國矣遂逐之
【大日孁貴は美しく輝き「六合」(『山海經』に出現する黄海と日本海が交わるところ)をすみずみまで照りわたし、二神は喜んで、「私達の子供が多いと言ってもこの不思議な力を持つ子を留めておくことはできない。はやく海人の故地に授けなくてはいけない。」と言った。海人の故地と大国はまだ分かれておらず遠くない関係だったので、天柱(船の印の柱?)を挙げて故地に海流を上った。次に月神を生み、その輝きは日神につぎ、日神と一緒に治めるべきなので故地に送った。次に蛭兒を生んだが3歳になっても立てず船で漕ぎ手もいない風が吹くまま流し棄てた。次に素戔嗚を生み、「素戔嗚はずっと(宇宙『淮南子』卷十一齊俗訓 「往古來今謂之宙四方上下謂之宇道在其間而莫知其所」時間も空間も無限に)決まりから外れてに君子の道に全く見ていない。絶対に遠くの根国へ行きなさい。」と二神が命じ、遂に果たした。】とあり、すなわち二神とどの神か解らない表記で、この続きは神が変わって三貴尊も生んだ神とは違う王朝の説話となるのである。
また、大日孁貴は『日本書紀』にとって「磤馭慮嶋」にはいないので『日本書紀』の大神は「磤馭慮嶋」の元々の大日孁貴でない神を祀っているということだ。
また、蛭兒を流した記述は水葬と考えられ、『古事記』の葦船が元々で、すぐにばらける船で海に返したとし、『古今和歌集 藤原興風』に「白浪に 秋の木の葉の 浮かべるを 海人の流せる 舟かとぞ見る」と海人がその名残で長崎・佐賀・熊本で行われる精霊流しの起源のようなものでこれらの地域が天の故地と私は述べた。
大日孁貴はもちろんもともとは「磤馭慮嶋」の「蛭兒」と対の「日孁」神がモデルで『古事記』の「水()蛭子」すなわち国引きの「八束水臣津野命」から大国を奪って新たな大神になった神のようで、津野命は『出雲風土記』に「三身之綱打挂而」と『山海經』「海内經」に「帝俊生三身三身生義均・・・均定九州」と黄海岸、「大荒南經」に「有人三身帝俊妻娥皇生此三身之國」と太平洋岸、「海外西經」「三身國在夏后啟北一首而三身」と日本海岸に面した九州と呼ばれた三身国の力を借りて大国を統一したが、大神に奪われということだ。
『古事記』 原文 前川茂右衛門 寛永版は
御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而禊祓也故於投棄御杖所・・・其底箇之男命中箇之男命上箇之男命三柱神者墨江之三前大神也於是洗左御目時所成神名天照大御神次洗右御目時所成神名月讀命次洗御鼻時所成神名建速須佐之男命右件八十禍津日神以下速須佐之男命以前十柱神者因滌御身所生者也生終得三貴子
 と、日向出身の王朝が書いた『古事記』なのだからおそらく日向国の前身をまだ国ではないから「日向」としたと考えられ、ここで、更に神生みを続け、「日向」は発祥地ではない占領した土地を表している。
そして、その神は日向で 宗像・志賀島安曇・墨江津守の夫々の三神を生んだ後に、「天照大御神」・「月讀命」・「建速須佐之男命」の三貴子が生まれ、生んだ神は伊耶那岐で、「須佐之男」は「熊曽國謂建日別」の神で、『舊事本紀』も同様だ。
これは当然で、『古事記』と『舊事本紀』は私史で書いた人物も葛城氏の末裔が書いたため一致点が多く、しかも、有名な説話を流用して自家の説話とし、『日本書紀』は国史で、神話は古い説話に継ぎ足した可能性が高い。

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