『古事記』原文 前川茂右衛門 寛永版は
「此三柱神者並獨神成坐而隠身也次國稚如浮胎而久羅下那洲多陁用弊琉之時如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯訶備比古遅神次天之常立神此二柱神足亦獨神成坐而隠身也上件五柱神者別天神次成神名國之常立神次豊雲野神此二柱神亦獨神成坐而隠身也次成神名宇比地迩神次妹須比智迩去神次角杙神次妹活杙神次意富斗能地神次妹大斗乃辨神次於母陀琉神次妹阿夜止(上)訶志古泥神」
と「葦牙彦舅」の説明にクラゲのように漂う時と『日本書紀』と異なる表現を記述するが、「於母陀琉神次妹阿夜上訶志古泥神」の「於母陀琉」と説明にピッタリの神が伊弉諾の前に記述される。
『古事記』の取って付けた付加を考えると、本来「阿夜上訶志古泥」が創始者の神話を奪った「於母陀琉」の神話に「葦牙彦舅」の神話を取って付けた神話を、さらに、「中主」の神話を付け加えた中国(なかくに)の創始者中王の神話と理解できる。
すなわち、「於母陀琉」は「妹阿夜上訶志古泥」の王朝創設神話を奪ったことが解り、日本におけるもっとも早い王朝の創始者が「妹阿夜上訶志古泥」という女王だったことが解るのである。
それを、「意富斗能地」すなわち大国の「斗能地」が、さらに「豊雲野」すなわち豊国の「雲野」が奪い、その史書を奪ったのが「常立」を創始者とする王朝で、その史書に産巣と「日」の国から独立した中王が取って付けて完成させたということだ。
他王朝の史書を盗んで取って付ける方法は日本での王朝交代時にずっと行われた手法で、前王朝の有名な説話も同様に流用して付け加えて新たな説話とした、こういう方法で史書は創られた。
取って付けたのだから内容の時代の移動があっても嘘や間違いではないのだから、資料的価値を否定できず、史書に書いてあることを絵空事と精査なしで否定できない。
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版神代本紀では、
「古者元氣混沌天地未割猶鶏卵子溟涬含牙其後清氣漸登薄靡為天浮濁重沈淹滞為地所謂州壤浮漂開闢別割是也譬猶游魚之浮水上于時天先成而地後定然後於高天原化生一神號日天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊自厥以降獨化之外倶生二代耦生五代所謂神世七代是也神代系紀天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊一代倶生天神天御中主尊可美葦牙彦舅尊二代化生天神國常立尊亦云國狭立尊亦云國狭槌尊亦云葉國尊豊國主尊亦云豊斟渟尊亦云豊香節野尊亦云浮経野豊買尊天八下尊獨化天神第一世之神也三代耦生天神角杙尊亦云角龍魂尊妹活杙尊別天三降尊獨化天神第二世之神也四代耦生天神埿土煮尊亦云埿土根尊妹沙土煮尊 亦云沙土根尊別天合尊亦云天鏡尊獨化天神第三之神也五代耦生天神大苫彦尊亦云大戸之道亦云大富道亦云大戸麻彦妹大苫邊尊亦云大戸之道亦云大富邊亦云大戸麻姫別天八百日尊獨化天神第四之神也六代耦生天神青橿城根尊亦云沫薙亦云面足尊妹吾屋惶城根尊亦云惶根尊亦云蚊雁姫尊別天八十萬魂尊獨化天神第五之神也」
とさらに詳しく支配者の移り変わりを記述し、物部氏の神の系図が「狭霧」から「天八十萬魂」の系図、本来は逆で「天八十萬魂」から「狭霧」の系図でそれぞれの王朝で独立した系図を形成していたことを主張しているのだろう。
ここで、『日本書紀』の王朝の創始者「常立」の神話の根底が『舊事本紀』に記述され、もともと「葉国」から「狭国」そして「常国」と神話が付加されたと記述している。
「葉国」は隠岐の島の伝説に「木の葉人」という人物が創始者と言われていて、その後に海人がやってきて、於母島に住んだとされ、「於母陀琉」神の記事と符合し、海人の「狭」の「槌」(?土人)が「於母」の「陀琉」、すなわち「大」の「足」、大国王の神話を使いまわしたことを物語っていて、「木の葉人」の創始者が「妹阿夜上訶志古泥」ということになる。
※http://takuhi-shrine.com/material.html『伊未自由来記』
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