日本における考古学はステレオタイプの如く右も左も大陸から中国人や朝鮮人が文化を持ってきたと論じているが、本当にそれが正しいのだろうか。日本人の遺伝的比較をした研究がたくさんあるがどの説でも世界中どこを探しても日本人と類似する遺伝子が見つからず(江蘇省で春秋時代の呉地域の数十例中の人骨3例あるが周以前はない)、共通の1種類の遺伝子があると中国南部やシベリアに出身地域を当てているがその経過地は全く示されていない。また、言語学的に見ても南方島嶼の影響とシベリアを当てるがこれも経過地がなく、朝鮮半島に日本人との混血と語順が見られるが、朝鮮人は紀元前300年頃に中国北部から移動してきた民族で弥生時代が既に始まっていた。それにもかかわらず、神話も土器も農耕もすべて中国人や朝鮮人が日本に技術を持ってやってきて、特に弥生人はこれらの人物だと言われているが、台湾やフィリピンに広がった彩文土器は日本に入ってこなかった。民族が置き換わるほどの人数で征服した朝鮮人や中国人がどうして日本語を話さなければならないのか、どうして縄文人の神話を話さなければいけないのか、どうして遺伝子が消えてしまうのか、どうして突然変異を起こして新しい遺伝子をもつのか、どうして弥生時代以降中国人や朝鮮人が難民としてやってこなかったのだろうか、百済滅亡時でも28人の亡命で大挙して難民が押し寄せることもなく、新羅は船で海を渡って日本を攻撃しようとしたが航行のむつかしさから断念し、北方や南方の世界の神話は史書として書かれていないのに日本より古い神話で日本に影響したのだろうか。縄文人を圧倒する人々が日本にやってきて縄文人の文化を継承し、日本語を継承し、日本の神話を継承することなど考えられないことだ。
『三國史記』 卷第二 新羅本紀第二 儒禮尼師今
「十二年 春 王謂臣下曰 倭人屢犯我城邑 百姓不得安居 吾欲與百濟謀 一時浮海 入撃其國 如何 舒弗邯弘權對曰 吾人不習水戰 冒險遠征 恐有不測之危 況百濟多詐 常有呑噬我國之心 亦恐難與同謀 王曰 善」
『日本書紀』 天武天皇十三年 「化來百済僧尼及俗人。男女并廿三人。皆安置于武藏國。」
古事記神話は国産みをイザナギイザナミすなわちクジラの神様が淤能碁呂島を産んだ所から始まるが、おそらく、この話はクジラが島の様に大きな子を産むところを見て、火山島が新しくできる様を見た日本人や海洋の民しか思いつかない神話で、大陸の神話は土地は既にあり、最初の天子は卵から生まれた、神は人間を家でも建てるように作り上げる。日本では、最初に産んだ淡島を皮切りに島を産み続け、淡島を数に入れなかった。だがここで、「隠伎之三子島 亦名天之忍許呂別」に疑問を持ち、隠岐の島は4島で「別」がつき、対馬は2島だが「天之狭手依比売」と「別」がなく、隠岐の3島にはおそらく「天之忍許呂」島がありそれが島後で「淡島」なのではないのだろうか。また、神が生まれる順で最後がイザナギイザナミであるが、一番偉いはずの国を産んだ神より偉い神様がたくさん並んでいて、これは国産み神話を創った部族を阿夜上訶志古泥神という女神が攻め入って支配したのであって、最後に天之御中主神を祀る勢力が古事記を書いたと考えられる。すなわち、オノ「コロ」島すなわちオシ「コロ」島を支配した「天(ア)」の「八」の「カシコネ」が国を造り「淡島(オオシマ)」すなわち大国を建国したが後に「淡島」を、すなわち大国を盗られてしまったという神話で古事記では大国を産んでいないし、日本書紀では淡路島が盗られてしまったが、古事記で取り戻している。そして、出雲神話ではこの4島をまとめた神話が大国の建国神話となったのであり、その後、隠岐の島4島と対馬2島で「六合」すなわち6島を大日靈貴が支配して、後に「天照大神」が隠岐の島を月読が対馬を、その他の島々を素戔嗚が任された神話だと思われる。対馬はこの神話ができたころは水葬をしていたようで水蛭子を葦船で流しているが、日本書紀では楠船と書き換えて楠船があるのに葦船を使い、すぐ壊れる葦船で生きた子を流すことはしないと思われ、死者の葬送儀式であり、水葬すると対馬海流で死体が対馬に流れ着くと考えられ想定した。また、素戔嗚も稲羽の素兎伝説の「素」が共通しており、素兎伝説は隠岐の島の中の島から島後への嶋渡で「阿夜上訶志古泥」と「八上比売」の「ヤ」が共通していて、素戔嗚は中之島の人物で、大国王の大穴牟遅が島後の支配者八上比売を支配した説話のようだ。
『古事記』
天地初発之時 於高天原成神名 天之御中主神・・・次高御産巣日神 次神産巣日神・・・宇摩志阿斯訶備比古遅神・・・次天之常立神・・・次成神名国之常立神・・・次豊雲上野神・・・次成神名宇比地迩上神 次妹須比智迩去神・・・次角杙神 次妹活杙神 二柱 次意富斗能地神 次妹大斗乃弁神 次於母陀流神 次妹阿夜上訶志古泥神・・・次伊耶那岐神 次妹伊耶那美神・・・興而生子、水蛭子 此子者入葦船而流去 次生淡島 是亦不入子之例・・・御合生子、淡道之穂之狭別島 次生伊予之二名島 次生隠伎之三子島 亦名天之忍許呂別・・・次生筑紫島・・・白日別・・・次生伊岐島 亦名謂天比登都柱・・・次生津島 亦名謂天之狭手依比売 次生佐度島 次生大倭豊秋津島 亦名謂天御虚空豊秋津根別 生吉備児島 亦名謂建日方別 次生小豆島 亦名謂大野手上比売 次生大島 亦名謂大多麻上流別 次生女島 亦名謂天一根・・・次生知訶島 亦名謂天之忍男 次生両児島 亦名謂天両屋・・・賜天照大御神而詔之、汝命者、所知高天原矣・・・詔月読命、汝命者、所知夜之食国矣事依也・・・次、詔建速須佐之男命、汝命者、所知海原矣事依也・・・僕者欲罷妣国根之堅州国故、哭・・・稲羽之素菟者也 於今者謂菟神也 故、其菟白大穴牟遅神、此八十神者、必不得八上比売・・・
『日本書紀』
・・・次生蛭兒 雖已三歳脚猶不立 故載之於天磐 樟船而順風放棄・・・・・・號大日靈貴 此子光華明彩 照徹於六合之内・・・
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