2017年12月27日水曜日

最終兵器の古代史 日本神話の再検討4

 さらに、古事記でも日本書紀でも海に流した蛭子神は、共通の敵の日本人と言えば古くから高度な文化を持ついわゆる縄文人と呼ばれる東国の蝦夷のことで、のちに饒速日が天降った地域で、それが銅鐸国である東鯷国で蝦夷は国とは呼んでいない。
『古事記』
「・・・興而生子、水蛭子 此子者入葦船而流去 次生淡島 是亦不入子之例・・・」
『日本書紀』
「・・・次生蛭兒 雖已三歳脚猶不立 故載之於天磐 樟船而順風放棄・・・」

東鯷国は漢書によると20以上の国を有していて、古事記に出現する島ではない列島内の国と君を合わせると22ヶ国でほとんどは銅鐸が見つかっている地域に重なる。東鯷国から建比良鳥・天津日子根・神話部分の神武天皇(大物主を祀る人)が国を支配下にしたのであり、建比良鳥が大国を建国し、天津日子根が東鯷国を滅ぼして国名を神国にし、神八井耳は更に領域を広げて国名を倭に対する大国系の一段上位の、臣に対する大臣、連に対する大連と同じく、倭に対する大倭として天皇を名乗ったと古事記は言っているようだ。
古事記
建比良鳥命、此、出雲国造・无耶志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等之祖也。
天津日子根命者、凡川内国造・額田部湯坐連・茨木国造・倭田中直・山代国造・馬来田国造・道尻岐閉国造・周芳国造・倭淹知造・高市県主・蒲生稲寸・三枝部造等之祖也。
槁根津日子。此者倭国造等之祖。
参向耳此者吉野国巣之祖。
神八井耳命者、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥石城国造・常道仲国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹波臣・島田臣等之祖也。
神功皇后摂政前紀仲哀天皇九年 
新羅王遥望以爲 非常之兵 將滅己國 讋焉失志 乃今醒之曰 吾聞東有神國謂日本亦有聖王謂天皇
漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条
會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云
後漢書
會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國

銅鐸出土地域の例
道尻岐閉国 常道仲国(上野-新田郡新田町 東中溝Ⅱ遺跡 ・下野-小山市田間) ・武蔵(平塚市-内沢遺跡・海老名市-本郷遺跡 河原口坊中遺跡・東京都八王子市長房町-中郷遺跡 高田馬場三丁目遺跡)・上菟上国 下菟上国 伊自牟国 馬来田国 長狭国(袖ケ浦市-水神下遺跡 市原市-草刈遺跡 君津市大井戸八木 木更津市大久保中越)・遠江国(掛川市 浜松市 富士市船陣ヶ沢 静岡市富士見台1丁目有東遺跡  袋井市愛野向山)・津島(愛知郡鳴海海底 一宮市大和町 八王子遺跡 西春日井郡清洲町 朝日遺跡)・伊予(中央市上分町-上分西遺跡)・科野(長野-柳沢遺跡)など また近畿・山陰・九州に多数出土

 古田氏は日本書紀や古事記の神武東征は正しいと宣言したが、それは、九州王朝が日本を支配していなければ自分の論が成り立たないからであったからの論で、古事記・日本書紀を九州王朝から盗んだもので大ウソの本と宣言した。しかし、古事記も日本書紀もまさに日本の歴史の真実を記述したとしか思えない遺跡や多くの史書との整合性を持ち、多くの説話の集合体であることが解かり、古田氏は九州王朝が持論の多元史観で2つの倭人王朝を認めれば問題無かったのである。
古事記と日本書紀との差は嘘の上塗りの史書なのではなく、書いた支配者の違いが表れているだけでともに関東から西の日本の歴史を記述した史書であることが解る。南九州の縄文倭人が船で武器と文化を交易して、金属器の剣を得ることで日本を統一していったという歴史書で、三国志で記述されていない邪馬壱国の東の倭種70国の歴史、隋書の俀國の東秦王国の歴史が古事記・日本書紀だ。そして、最後に日本書紀や古事記を書きあげた人々は現在の天皇家の時間軸を採用して記述したのであり、この時間軸にそれぞれ日本を支配した王朝が宮ごとに記述した歴史を当てはめたため、多くの矛盾が生じたのである。朝鮮の資料では倭国がいつも攻めてきて、中国史書や日本書紀は朝鮮が日本を尊敬していると書く、すなわち、戦争する中国の冊封体制下の倭国と中国と敵対する新羅の友好国日本が日本列島に存在したのであり、友好を表明するときは倭国で敵対するときは倭人・倭など国が付加されない。

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