2017年12月25日月曜日

最終兵器の古代史 日本神話の再検討3

 稲の栽培方法も田道間守が常世国から橘を得るのに10年かかっているが、普通の橘は日本の在来種で田道間守の橘はコウライタチバナと思われる。「済州島」と「萩」にのみ自生し「萩」にある橘を田道間守が栽培方法を含めて求めたために10年を要したのである。これと同様のことが稲の栽培を行うときに栽培方法を含めて取り入れたので、温帯ジャポニカの遺伝的多様性がないと考えられる。稲のある場所に漆を運んでそこにある稲穂を見て興味を示さないことはあり得ないし、中国人が稲の作り方を教えに船に同乗したり中国では船がまだなくほぼ日本にたどり着くのが不可能な筏で命を賭けて教えに来るとは思えない。ここで常世の国は済州島であることが解り、済州島の高山里遺跡には1万年前の縄文土器やクジラの骨を使った道具が出土して日本と同じ文化圏である。さらに、宗像3島を支配した素戔嗚は大八島の吉備児島近くに縄文前期の土壌からプラントオパールが見つかった朝寝鼻貝塚(岡山市 6000年前)、縄文中期の土器胎土にプラントオパールが見つかった矢部貝塚・福田貝塚(岡山県倉敷市)、土器に稲の圧痕を残した南溝手遺跡(総社市 約3500年前)があるように稲を持って出雲に天降った。板屋Ⅲ遺跡(飯南町志津見)から出土した縄文時代晩期の土器からシコクビエのプラントオパールが検出され、後代に大国主が宗像の女を娶るとき事代主の女との間に鳥鳴海(とりなるみの)神を産んでいて大国が事代主を配下にした。しかし、宗像の近くには四箇東(福岡市早良区)・菜畑遺跡(唐津市)・板付遺跡(博多区)と縄文晩期の稲の遺跡が続き、日本書紀では神武天皇は事代主の支配地域を支配した。すなわち、日国の地域の近くの日別を素戔嗚が支配し、後に日国を素戔嗚配下の事代主が支配してその後大国主に支配され国譲りで火瓊瓊杵が天降った。『山海経』には中国以外で日本列島と思われる「黒歯国」のみに稲が記述されるが、岡山近辺は最有力候補となりそうだ。
『日本書紀』
垂仁天皇九十年 天皇命田道間守。遣常世國。令求非時香菓。今謂橘是也
垂仁天皇九九年 是常世國 則神仙秘區 俗非所臻 是以往來之間 自經十年 豈期獨凌峻瀾 更向本土乎
『古事記』
速須佐之男命、立伺其態、為穢汚而奉進、乃殺其大宜津比売神。故、所殺神於身生物者、於頭生蚕、於二目生稲種、於二耳生粟、於鼻生小豆、於陰生麦、於尻生大豆。故、是、神産巣日御祖命、令取茲、成種。故、所避追而、降出雲国之肥上河上
『山海経』
黑齒國在其北,為人黑,食稻啖蛇,一赤一青,在其旁。一曰:在豎亥北,為人黑首,食稻使蛇,其一蛇赤。

 さらに、朝鮮南部と九州の支石墓は遼東半島の支石墓と異なり、碁盤式支石墓で、日本の縄文時代には敷石や列石・組石・石棺・土器棺が出土しその影響を無視できないと思われ、考古遺物は古事記・日本書紀・山海經・ 論衡等の文献どうりの様相を示している。そして、日本書紀における最初の神が國常立で、古事記では天之御中主で国之常立はかなり下位の神になっているが、古事記の国生みの地の豊秋津よりも上位の神としている。ということは、古事記を記述した国は「中」というところで日本書紀を記述した国より後に建国したと考えられ、豊国と呼ばれた安芸から独立した現在豊国と呼ばれる地域が一番妥当だ。京都郡には太祖神社があり、同様に日本書紀を考えると芥屋にある太祖神社か篠栗にある太祖神社、糸島の高祖神社の場所が考えられ位取りから考えると初代の王の宮は太祖神社で、高祖神社はその先祖である。
『古事記』
天地初発之時 於高天原成神名 天之御中主神・・・次、高御産巣日神・・・・国之常立神・・・次豊雲上野神・・・
『日本書紀』
 ・・・于時天地之中生一物 状如葦牙 便化爲神 號國常立尊・・・次國狹槌尊 次豐斟渟尊・・・ 
 ・・・先以淡路洲爲胞 意所不快 故名之曰淡路洲 廼生大日本豐秋津洲・・・
・・・娶高皇産靈尊之女栲幡千千姫 生天津彦彦火瓊瓊杵尊・・・

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