三年春正月甲寅朔の天皇の朝賀、三月癸丑朔の大赦、五月癸丑朔と秋七月壬子朔の新羅弔使の説話は九州の暦なので、都督府の記録だろう。二月甲申朔の防人の年限の詔勅、夏四月癸未朔の新羅人を下毛野に投化、六月壬午朔の筑紫大宰への衣裳下賜、秋八月辛巳朔の神事は正しい日干支、畿内の記録である。
潤八月辛亥朔は九州の暦で、戸籍を創る詔勅である。戸籍は白雉三年や天智九年に詔勅を出したので、九州では天智九年の戸籍と様式が違っていたのだろう。九月庚辰朔の石上麿、石川虫名の筑紫派遣、冬十月庚戌朔の高安城行幸、十二月己酉朔の雙六禁止は畿内の記録だ。十一月己卯朔の高田石成が軍を削減したことで褒美を与えた。これは九州の暦で、九月の戸籍の詔勅で、軍は4軍までとあったのを、3軍に減らしたためだ。
四年春正月戊寅朔の朝賀は九州の暦、都督府の記録である。大嶋は中臣朝臣で、ここから藤原姓を外れた。藤原姓は以降、鎌足の子の不比等と大嶋の子の馬養が716年まで使っている。馬養は不比等の娘婿?
二月戊申朔の腋上行幸、夏四月丁未朔の廣瀬大忌神與龍田風神の祭り、五月丙子朔と八月乙巳朔と冬十月甲辰朔の吉野宮行幸、六月丙午朔の泊瀬行幸、十一月甲戌朔、十二月癸卯朔の金高訓の記録は正しい日干支で畿内の説話である。三月丁丑朔の京と畿内の老人に祝いの物を渡し記録は九州の暦、天智天皇の首都は畿内にあるのに、京が別に記されているのは、この京が畿内でなく筑紫だったことを示している。秋七月丙子朔の公卿百寮に新しい朝服を配った記録、九月乙亥朔の戸籍の造り方の詔勅は九州の暦である。
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