2026年3月16日月曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 天武天皇5

  八年六月庚戌朔の雹、十一月丁丑朔の地震、十二月丁未朔の恩赦は九州の暦で、筑紫での記録だ。それに対して、秋七月己卯朔の雨乞い、八月己酉朔の「貢女人」、九月戊寅朔の新羅遣使、冬十月戊申朔の治安の悪化は正しい日干支、畿内での記録である。

九年春正月丁丑朔の大宴会、三月丙子朔の巫鳥の献上、夏四月乙巳朔の廣瀬龍田神の祭り、六月甲辰朔の新羅の使者の帰国、八月癸卯朔の嘉禾の献上、冬十月壬寅朔の貧しい寺の僧や百姓への施し、十一月壬申朔の日蝕は正しい日干支、畿内の天智天皇の記録である。廣瀬龍田神の祭りが天皇交代時期681年や695年に九州の暦で記され、外交と廣瀬龍田神の祭る宗教の天皇、都督府の政務と行事の太子の切り分けができそうだ。

それに対して、二月丙午朔の東方で異音、五月乙亥朔の京内廿四寺への施し、秋七月甲戌朔の飛鳥寺西槻の枝が自然に折れた現象、九月癸酉朔の「馬的射」は都督府の記録なのだろう。

十年春正月辛未朔の幣帛を分け与えた記録、二月庚子朔の草壁皇子を皇太子にしたのは九州の暦だ。九年十一月に中宮天皇が崩じ、天智天皇が即位し、都督府の支配下の大海皇子が九州の王となったのだろう。三月庚午朔の阿倍夫人の葬、夏四月己亥朔の廣瀬龍田神の祭り、六月己亥朔の新羅饗応、九月丁酉朔の高句麗、新羅の遣使、十二月乙丑朔の新羅の饗応も九州の暦で、十二月の饗応は筑紫に派遣したと記した。 それに対して、五月己巳朔の皇祖の御魂を祀った記録、秋七月戊辰朔の朱雀を見た記録、八月丁卯朔の上毛野君三千の卒、冬十月丙寅朔の曰蝕、十一月丙申朔の地震は畿内の記録だ。

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