2026年3月11日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 天武天皇3

三年春正月辛亥朔の百済王の昌成の薨は九州の暦、674年の都督府の記録なのだろう。二月辛巳朔は正しい日干支、壬申年の功労者の阿閇麻呂が卒、大紫位を贈った。三月庚戌朔の対島の銀献上は九州の暦で、都督府の記録だろう。秋八月戊寅朔の忍壁皇子を石上神宮派遣した記事、冬十月丁丑朔の大来皇女の伊勢派遣は正しい日干支、674年では皇子・皇女がまだ幼いはずだ。

四年春正月丙午朔の大学寮の学生たちから珍物・薬を贈られたのは正しい日干支、675年の記録だろう。二月乙亥朔の支配地からの芸人を集めたのも正しい日干支、三月乙巳朔の土佐からの刀の贈り物も正しい日干支、675年だ。夏四月甲戌朔の大法会、六月癸酉朔の大分君の病死は九州の日干支、都督府の出来事だろう。秋七月癸卯朔の新羅遣使は正しい日干支で天智天皇の記録、八月壬申朔の耽羅からの使者は九州の暦、都督府の記録だ。九月壬寅朔の耽羅王が難波に来た日干支、冬十月辛未朔の四方への遣使も、十一月辛丑朔の宮の東の山で奇怪な自死の日干支も正しい日干支で、畿内での記録だろう。

五年春正月庚子朔の朝拜は正しい日干支、畿内の記録、二月庚午朔の耽羅に船を与えた記事は九州の記録である。夏四月戊戌朔の龍田風神と廣瀬大忌神を祀った記録、五月戊辰朔の国司の調の遅れの記録、秋七月丁卯朔の爵位を与えた記録吾は正しい日干支、畿内の676年の説話だ。八月丙申朔の親王、皇女、重臣への食封の記録は九州の暦、676年の筑紫都督府の記録である。郭務悰の権力が天智天皇より上位だったようだ。

『日本世記』の記録なので、正しい日干支は天智天皇、九州の暦は都督府の記録のようだ。正しい日干支の記録は三・四・五年が浄御原三・四・五年(675・676・677年)と一年のズレがある可能性が高い。

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