五年の九月丙寅朔、十一月乙丑朔、六年五月壬戌朔、十一月己未朔、十二月己丑朔の「朔告げず」は正しい日干支、天智天皇が朔日を公布していた。五年の冬十月乙未朔の酒宴も正しい日干支で676年の記録である。
六年春正月甲子朔の17日に行う射礼記録から八年五月庚辰朔甲申の吉野宮行幸までの記録は正しい日干支、天智天皇の記録なのだろう。六年二月癸巳朔の物部麻呂が新羅から来日、三月癸亥朔の新羅からの遣使、夏四月壬辰朔の杙田史の島流し、六月壬辰朔の大地震、秋七月辛酉朔の龍田風神、廣瀬大忌神を祀り、八月辛卯朔の飛鳥寺の大法会、九月庚申朔の浮浪人への課役、冬十月庚寅朔の民部卿、攝津職大夫の任命、七年春正月戊午朔の射礼、夏四月丁亥朔の十市皇女の薨去、冬十月甲申朔の不明な物の出現、十二月癸丑朔のアトリの飛来、八年春正月壬午朔の新羅の遣使、二月壬子朔の高句麗、新羅の遣使、三月辛巳朔の大分君の卒、夏四月辛亥朔の寺の由緒の調査、五月庚辰朔の吉野行幸が含まれる。天智天皇の記録が続いている。
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