2025年10月22日水曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 応神天皇1

  西暦270年応神元年春正月丁亥朔は正しい日干支で「皇太子即位」、『舊事本紀』は「皇太子尊即天皇位都輕嶋地謂豐明宮」と記述される。高島の輕嶋豐明宮なのだから大連は、「品太天皇御世賜尾治連姓爲大臣大連」の尾綱根が即位した。

応神二年春三月庚戌朔壬子は間違いの日干支で、「立仲姫爲皇后」と仲姫が皇后なので、襲津彦の家系が仲国王になった記録だ。襲津彦を貰った纏向朝時なら西暦191年以降、西暦266年が相応しい。応神尾綱根皇后は高城入姫で、大山守(尾治弟彦・稚彦連)が二代目応神、皇太弟の額田大中彦が尾治針名根だろうか。意乎巳連が大萑天皇で、大萑は仲姫の娘の磐之媛の婿である。

応神三年冬十月辛未朔癸酉の「東蝦夷悉朝貢」、応神五年秋八月庚寅朔壬寅の「令諸國定海人及山守部」は正しい日干支である。応神九年夏四月、甘美内宿禰が許されて「賜紀伊直等之祖也」と紀伊直の祖を賜っている。将来紀伊直を賜姓すると口約束され、それが賜ったなどと、とても奇妙だ。『紀氏家牒』にある、紀伊国造の宇豆彦道彦男の娘婿になって、平群県紀里を与えられて、木菟宿祢(紀角直)を賜姓されたと考えられる。紀伊国造が御真木入日子なのだろう。

そして、これ以降、武内大臣は記述されず、武内宿禰は河内・山背・琵琶湖南部の大臣の地位を丸迩の比布禮(多遅麻)に奪われたのだろう。大伴氏の諸縣君牛諸井、葛木氏、和珥氏が揃った。紀武内宿禰(若帯日子)は318年に葛城国造荒田彦と姻戚になり、葛木王になったようだ。

応神十五年秋八月壬戌朔丁卯の「百濟王遣阿直岐貢良馬二匹」も正しい日干支だが、前月は小の月で、八月壬戌は晦にあたり、九州の暦と言える。この後、新羅と倭・百濟が戦い、西暦284年は相応しい。

 

年候補

庚戌3月朔日 80 147 204 209 266 333

0 件のコメント:

コメントを投稿