2025年10月13日月曜日

最終兵器の目 新しい古代史 真実の古代 神功皇后1

  仲哀八年秋九月乙亥朔己卯は九州の暦の日干支で、新羅國侵攻説話である。西暦198年頃は、倭国は大飢饉、千人以上が新羅に食を求め、帯方郡に属した後だ。西暦13年垂仁四十二年ならば、『三国史記』に翌14年、新羅南解次次雄十一年の記事「倭人遣兵船百餘艘掠海邊民戸」がある。この侵略が新羅に対する最初で、穴門の王が新羅の内情を知らないと述べるのは、理解できる。それ以降に、新羅が解らないと言うことは有り得ない。仲哀九年夏四月壬寅朔甲辰は西暦14年4月2日(3月は小月)、秋九月庚午朔己卯、冬十月己亥朔辛丑、十二月戊戌朔辛亥も西暦14年の新羅國侵攻説話である。

仲哀九年春二月癸卯朔丁未は正しい日干支で、「天皇忽有痛身而明日崩」と天皇が崩じた。『舊事本紀』では天皇が崩じる前、武内宿禰に進められて天皇が琴を彈き、翌朝天皇が崩じていたが、『日本書紀』では仲哀九年三月壬申朔、武内宿禰に琴を彈かせ、天皇が崩じた後なのに吉日と記述する。『舊事本紀』は皇后と武内宿禰の呪い、『日本書紀』は天皇の崩御を感謝している。すなわち、実際は仲哀九年春二月癸卯朔丁未の『舊事本紀』記事だったと考えられる。

『日本書紀』は、その後、中臣烏賊津使主の記述があって、吉備臣の祖の鴨別と共に、熊襲國を撃退した。これは、神武東征の天種子が菟狹津彦を破った202年に充てた神武即位前紀甲寅年冬十月丁巳朔辛酉の発端記事と考えられる。安芸王になる襲津彦と菟狹津媛を妃にして菟狹王になる天種子(中臣烏賊津使主)、吉備國高嶋宮の王となる吉備臣祖の鴨別と考えられる。仲哀九年3月25日、「山門縣則誅土蜘蛛田油津媛時田油媛之兄夏羽」と卑弥呼・夏磯媛の兄と考えられる夏羽や義姉と考えられる田油媛を撃ち夏磯媛が邪馬壹國の女王となったのだろう。

しかし、仲哀九年三月壬申朔は17日の御笠、20日の安の説話は奇異である。邪馬壹國の南方で戦うのは南にある狗奴國で卑弥呼の生存中は対峙していて、勝利していない。すなわち、この三月壬申朔は西暦257年が妥当である。3月25日の記事は西暦200年の卑弥呼(夏磯媛)を壹國の魁帥と認めた記録と西暦257年市鹿文を火國造にした記録を併せた記事だろう。

 

年候補

庚午9月朔日 -44 14 81 138 143 200

己亥10月朔日 -44 14 81 107 138 231

戊戌12月朔日 -80 14 107 138 231

丁巳10月朔日 -729 -636 -543・・・-16 16 42 109 166 202

壬申3月朔日 14 71 133 200 257

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