「新しい古代の神話」では、住む場所の宮を神の代理人が居る場と考え、地名が神、交流することで、地名を付加していった。また、地名は人々の移動によって運ばれた。地名が神、人々は埋葬された墓所を「し」と呼んで、その土地の人々を「氏」と呼んだようだ。「しかばね」は死んだ神が埋められた場に建てた木が根と言う意味だと考えられる。
『山海經』にあるように、日本人の国と考えられる、海外の東西南北經の52、海内の南・東經の34、大荒の東・南經の68の計154、但し重複する国があるので140位の人種が集まったのが日本人と考えられた。『漢書』にも「分為百餘國」と記述され、弥生期でも百以上の言語(方言)を話す人々が存在したと考えられる。
日本人のY遺伝子の構成から、日本人には周辺国に無い遺伝子が存在し、6.8から3.9万年前頃にアフリカを出発した人々が中国や日本に住み着き、その後、3.5万年以降にアフリカを出発した人々が後から遣って来て、日本列島の先住民と混血し、辺地に追いやったようだ。それらの多数の種族の人々の言語も神を「ま・け・み・き・ち」などと呼んで、其々、独自の言葉(方言)を話していたようだ。
移動生活では土器は邪魔だったが、日本に来た人々は土器を発明して定住し、舟を発明して黒曜石などを交易した。日本人は交易で交流するため、身振り手振りや擬態や擬音に声を載せて意思疎通しただろう。そして、交易範囲が拡大する毎に言葉が付加される膠着語の日本語が生まれた。また、其々の神を葬った木の根(幹)・墓標がある土地の人々を纏めて死んだ神の「氏・主」と呼んだのだろう。「新しい古代の神話」では、その土地に繋がる氏族を検証した。