2024年11月4日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 葛木氏の神話16 息長氏

  遠津臣の娘である高材比賣の子に息長宿禰が存在し、彼は葛城の高額比賣を妃に迎え、息長帯比賣を生んだ。遠津は、近い津である大津に対する「遠い津」で、草津のことを指すと考えられる。そして、伊勢遺跡がある守山市の隣町の草津の遠津氏の娘の子に豐鋤入日賣が存在したと思われる。

比古布都押之信の世代に、葛城の垂見宿禰の娘である鸇比賣が存在し、子に建豐波豆羅和氣がいる。葛城の宿禰なのだから、輕宮の葛木氏の天皇の娘であり、子が豐国に移住した人物のようだ。

高額比賣は多遲摩毛理の弟である多遲摩比多訶と、清日子の娘である由良度美との娘で、葛木氏は葛城の垂見宿禰からその氏を継承したと考えられる。なぜなら、多遲摩毛理は常世国から非時香菓(高麗橘)を持ち帰ったが、済州島(常世)と萩(多遲摩毛理の出発地)にのみその木が自生する。すなわち、伊久米伊理毘古の宮も萩近辺にあったと考えられる。神功皇后が穴門の山田邑に宮を建てた場所も、萩の隣であり、萩や穴門は豊国に属する。

つまり、伊久米伊理毘古、多遲摩毛理、豐鋤入日賣、息長宿禰は同じ系統の人物であったと考えられる。豐鋤入日賣は伊勢の女王、息長帶比賣は穴門と糟屋の斎王であった。そして、息長帶比賣は栗東市の坂田宮伊勢斎王禊祓所で禊祓を行った女王国の女王であったとも考えられる。『舊事本紀』によると「氣長足姫命是息長地名在近江國坂田郡」とあり、坂田は息長足姫が生まれた地である。

帯中日子も豊国の安芸の王であり、妃である息長帶比賣は品陀和気(襲津彦)の母であった。『紀氏家牒』の時代はすでに神話ではなくなっていたが、人の名前はその履歴書である。

師木に首都があったのに、御真木入日子や伊久米伊理毘古は矛盾しており、また、首都が纏向でも同様である。纏向宮に王が住んでいた場合、渟名城入姫がその王であった可能性が高く、渟名城入姫は大和神社を創建した。しかし、渟名城入姫を祀る渟名城入姫神社は、大和神社から離れた纏向に近い場所に祀られている。箸墓の被葬者の倭迹迹姫は世代が異なる。

0 件のコメント:

コメントを投稿