『古事記』では大国主の子は八上比賣の子の木俣(御井)神、多紀理毘賣の子の阿遅鋤高日子根と高比賣兄妹、神屋楯比賣の子の事代主、鳥耳の子の鳥鳴海とされる。ところが、『舊事本紀』では、大国主の子は百八十一神で、それは、大己貴、大國主、大物主、國造大穴牟遅、大國玉、顯見國玉、葦原醜雄、八千矛の八柱、八島士奴美(=大穴牟遅)以下、遠津山岬帶の17世代の子達なのだろう。さらに、『舊事本紀』は事代主に髙照光姫という妹があり、沼河姫に建御名方が生まれたと記述されている。
髙照光姫は阿遅鋤高日子根の妹の高比賣と亦の名下光比賣(下照比賣)を併せたような名で、下照比賣は天若日子の妃である。下照比賣は天若日子の死後、阿遲志貴高日子根を天若日子と見間違えているので、阿遅鋤高日子根と阿遲志貴高日子根は別人と解る。阿蘇道の鋤出身と淡道の師木出身の高島の人物なのだろう。
天若日子は大国主の母の刺国若比賣の夫の天之冬衣と考えられ、阿遲志貴高日子根は淡海の師木に天降った人物なのだろう。そして、阿遲志貴高日子根に対応した、同じ高島の姫の髙照光姫も阿遲志貴高日子根の妃の可能性がある。すなわち、事代主が大国主の父と同世代の王朝の可能性が高い。
尾張連・意乎巳連の祖の天火明は天道日女を妃にして天照大御神を祀った。それに対して、大物主は八島士奴美の後裔の八島牟遲能神と野洲王、そして木国造の娘の紀伊名草姫の子の天之甕主と姻戚関係になった。さらに、襲名した大物主は天狹霧神の娘を妃にて遠津山岬帶と伊勢遺跡のある津、すなわち草津王となったようで、その後裔の豐鋤比賣が伊勢大神を祀った。宇迦の宮柱から近い津の大津に対して、遠い津の草津と考えた。
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