2024年8月28日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 国譲り4 国譲りの結果

  事代主朝廷の最高実力者である政大夫の宇摩志麻治は、「奉齋大神」として、大神君の祖である天日方奇日方が祀る神に奉斎した。彼の子の彦湯支もまた最高実力者の政大夫となった。「食國政大夫者今大連大臣」とあるように食国の政大夫は大臣と同等なので、彦湯支の子の出雲醜が政大夫ではなく大臣なのは、食国の神ではない、大国の大臣(大国主)であることを示す。大国主は食国の官位、安寧朝まで、名目上隠岐の支配下だったことを示す。食国を離れた出雲醜が大臣(大国主)になれたのは、母の出雲色多利姫が建比良鳥から継承された大国主の娘だからなのだろう。大国主が事代主から政権を取り戻したことを意味する。

国譲りは、懿徳朝が終わる紀元前477年頃に起きた出来事だった。懿徳朝大臣の出雲醜は倭志紀彦の妹である真鳥姫を妃に迎え、大木食を生み、安曇川から大国の中の木国に遷った。そして、出雲醜は孫の建甕槌によって亀岡の出雲神社の地域に隠居させられた。建甕槌は伊勢幡主(伊勢神麻績連の祖の八坂彦、後に八坂入彦が婿入りする)の娘である賀貝呂姫を妃にして、布都御魂は伊勢遺跡がある野洲の伊勢神宮に祀られた。

建甕槌の曾孫の阿田賀田須は大倭國民磯姫を引き継いで阿田氏を継承し、後裔は和迩君である。そして、弟の建飯賀田須が迦毛大御神の後裔の大物主である陶津耳の娘の鴨部美良姫に婿入りして大物主を継承した。

大物主の妃の鴨部美良姫は活玉依毘賣と記述された。事代主の妃は『舊事本紀』が活玉依毘賣で大物主の妃は三穂津姫、『日本書紀』事代主の妃が玉櫛媛、『古事記』の大物主の妃は勢夜陀多良比賣で、全て三嶋溝咋(高御産巣日)の娘で大国主(大物主)一家の系図で、大物主は一世代後だ。

『古事記』は大臣の史書であり、意富臣の始祖は神八井耳とされている。これは「井宮の三国の神」を意味する。つまり、朝廷の神倭()を淡海に遷して継承した三国の井宮、御井宮の和知都美が国譲りで皇位を継承したことを示している。

その継承者である娘たちの蝿伊呂泥と蝿伊呂杼は孝霊天皇の妃となった。すなわち、懿徳天皇から孝安天皇までの間、『日本書紀』の皇后が葉江の娘であったことから、淡道の御井宮で葉江朝廷が続いていたことを意味する。

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