2024年8月12日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 九州の神1 神産巣日と大年神

  速須佐之男の子である大年神の系図を後回しにして、『古事記』はまず大国主の説話を記述している。これは、『古事記』の編纂者たちの祖先である曾都毘古が、熊襲の力を借はしたが、皇位を奪取したからだと考えられる。曾都毘古という名前は、暗殺された熊襲の戦士である日向曾都毘古から受け継がれたものだったと思われる。曾都毘古は、熊襲の戦力を背景に伊耶本和気を皇位に就けた人物だ。そして、日向曾都毘古の祖神が大年神である可能性がある。

『古事記』は、最初に登場する神々として、天之御中主、高御産巣日、神産巣日を記述している。天之御中主は中臣氏の祖神であり、高御産巣日が葛木氏の祖神と思われる。劔根が高倉山に住み、宝剣を発見したので当然のことだ。高御産巣日という名は「高神産巣日」を意味し、実際は神産巣日が『古事記』における祖神と考えられる。

まさに、神産巣日は『古事記』に「神産巣日御祖」と記されており、神産巣日が祖神である。さらに、神産巣日は保食神である大氣都比賣から種子を得て、農耕を始めた。『日本書紀』の一書では、天熊人が神産巣日であり、その子が天御食持とされている。この「天」は淡海の天、大氣都比賣のことを指すのだろう。つまり、「食」や「気」は農耕技術の継承者、すなわち王を意味し、須佐之男も悪神ではなく、動物を使って耕し、糞尿を肥料として農業を改良した善神であったと考えられる。

神産巣日の後裔として、火之迦具土の後に生まれた神として和久産巣日が存在する。火之迦具土は九州で火を意味する「迦」と呼ばれる神であり、それに続く和久産巣日も和久の言葉から九州に分祀された神だと考えられる。その子は豐宇氣毘賣と名付けられ、豊国の宇佐の保食神を受け継ぐ農耕の神であったと見られる。

また、建速須佐之男の娘は胸形で祀られており、建速須佐之男の子が大年神である。この大年神の系図は、竺紫日向の高千穂に天降るという説話の前にわざわざ記されている。つまり、対馬の昼ヶ浦、津のある州から胸形、そして畿内へ渡った加須屋の大神祇の末裔が日向曾都毘古であると述べている。

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