2024年8月21日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 国譲り1 出雲氏

  国譲りの説話は、天照大御神と須佐之男の子である天菩比を送ったことから始まり、天菩比は大国主に媚びて臣従し、子の建比良鳥と共に出雲臣の祖とされた。その後、天津國玉(対馬国王)の子である天若日子が登場する。天若日子(若狭日子)は大穴牟遲と多紀理毘賣の子の阿遅鍬高彦根の妹の下光比賣(若狭比賣)を妃に迎え、義兄の阿遲鍬高日子根を追い出し、大国主を生んだと考えられる。阿遅鍬高彦根は迦毛大御神と呼ばれ、賀茂君は大物主の末裔なので、大物主の祖なのだろう。そして、天照大御神は建御雷に布都御魂を持たせ、天鳥船を伴にして国を譲らせた。なお、経津主は布都御魂を指すと考えられる。

建比良鳥は出雲臣の祖であり、出雲氏の初出は彦湯支の妃である色多利姫だ。色多利姫は出雲醜大臣の母であり、建比良鳥の末裔と考えられる。また、色多利姫は滋賀県安曇川上流にある思子淵神社の地域の姫である。天菩比は、大穴牟遲に媚びて若狭の鳥浜で臣下になったと考えられ、その子孫は高島の安曇川に住んでいたようだ。

色多利姫の子である出雲醜の子が沙麻奈姫であり、沙麻奈姫と建飯勝の子が建甕槌だ。建飯勝は安寧天皇の皇后である渟中底姫の兄であり、実質的に天皇であったと考えられる。渟中底姫の祖母は活玉依姫であり、事代主の妃だった。したがって、孫の渟中底姫は事代主を継承し、事代主朝廷の女王である。しかし、建飯勝の義父である出雲醜の力と高島の高木神の武力によって、この事代主朝廷が終焉を迎えた。建御雷は、布都御魂を使って叔母の事代主朝廷を滅ぼした。建御雷は事代主と大国主も滅ぼしたので、この大国主は出雲醜大臣の子だったのだろうか。安曇川にいた出雲氏の大国主を祀る出雲神社は亀岡にあった。

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