2024年8月26日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 国譲り3 大国主の朝廷

  『舊事本紀』によると大国主の別名である大物主の妃は高浜の神と考えられる高御産巣日の娘、三穂津姫である。『古事記』では高御産巣日は三島溝咋、妃の三穂津姫は勢夜陀多良比賣である。国譲りが行われた場所は小浜で、事代主が薨じた場所は三穂之碕(御尾前)である。これらの神々は穂()と言う地域で活躍した。

大物主の妃である三穂津姫と同じ地域の姫の穂屋姫(同世代?)は、高倉下の妃であり、これらの地域の建甕槌、劔根、高倉下が大国主(大物主)から国を譲りうけた。三穂は「御尾」すなわち「三国の尾」、後の「三八()国の尾」と考えられ、高浜には「宮尾」があり、産霊神社が存在している。

国譲りは、高御産巣日(?三島溝咋)と天照大御神(?髙照光姫)が子供たちに実行させたものだった。大己貴から天菩比、その子の建比良鳥が大国主を引き継ぎ、すなわち、大背飯三熊之大人は大国、伊根の阿蘇湾、三方の日向湖を統治する、三国の小浜の熊野の主、これは、刺國大上神の可能性がたかい。

さらに、大国主の父の若日子(わかひこ)が矢で殺害され、下光比賣は兄の阿遅鍬高彦根と別人である阿遅志貴高日子根を兄と間違えた。阿遅志貴高日子根の妹(伊呂妹)は下光比賣の別名の「高比賣」である。この高比賣は事代主の妹である高照比賣が継承したと考えられ、阿遅志貴高日子根は神屋楯比賣の父である可能性が高い。

そして、刺國大上神の婿の若日子の妻の若比賣(下光比賣)の兄の阿遅鍬高彦根が大山津見であり、その妃が高比賣であった可能性が高く、大山津見の娘が神阿多都比賣である。山津見は神の意味で履歴書、阿遅鍬高彦根は役職名だ。一世代は2から3代以上の親子関係があり、顔が似ると言うことは、互いに従弟同士で婚姻しあっていることが予想される。君子国にとって、三国は接頭語()が付かない「唯の吾国」であり、三国と但馬は併せて「吾田」国とよばれ、事代主朝廷は「吾田の国の朝廷」だった。この世代で王と呼べるのは阿多小椅君のみ、そして、世代の違う胸形君と猿女君、九州の王である。

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