『日本書紀』では伊弉諾、伊弉冊が生んだのは海、川、山、木祖、草祖と三貴神プラス蛭子だった。すなわち、王朝にとって、神とは生命を生み育む自然が神として存在し、自然を祀る神祖は王祖の神子を生み、神子の子達が神(天)孫、それで十分である。その他の神は不要である。本来、大人国も同様だが、『古事記』も『舊事本紀』も多くの神を死後にまで生んでいる。理由は簡単で、複数の国が存在し、それらの国を支配したことを意味する。大人国には、周饒国王の佐神、流宮の大海祇、出雲の鞍山祇、沖津久須山祇、於漏知の国があり、当然、これらの国に其々神生み神話が存在する。
大臣の史書の『古事記』の国生み後に生んだのは大事忍男から十神で、最後が海神と水戸神で、水戸神が河神であった。最後が速国の水戸神の速秋津日子、速秋津比賣なのだから、この十神は加須屋大海祇(大綿津見)と無関係とは考えられない。大事忍男が事代主の祖だろうか、石土毘古、石巣比賣は海神社が有った円山川上流に出石神社がある。大戸日別は昼ヶ浦の分国の大国の港神、天之吹上男は伊吹山近辺の天野川の神、大屋毘古は対馬の昼ヶ浦の分祀の野洲の神で大山祇と同義の名前である。また、対馬から隠岐に移り住んだ、風木津別之忍男、隠岐に風早があり、忍男は臣の古形なのだろうか。大事忍男が9神の領域を支配下に置いたと考えられる。大人国の構成氏族の祖神を記したようで、事代主と類似する。
そして、速秋津日子と速秋津比賣が生んだ、すなわち、速日別国の加須屋大海祇が影響力を持った10神のペア神で、山祇や産巣日神を生む神である。沫那藝、沫那美、大津に粟津がある。頬那藝、頬那美の頬は津の集まり、「ラ」は接尾語で津の動詞形、若狭には津が沢山ある。水分は三国の熊に降ったことを意味し、熊野神社が散在し、小浜に熊野がある。久比奢母智は久々子と氣比の神の子の伊邪那美と伊邪那岐なのだろうか。母の「モ」は藻と同じで霊の集団と考えられる。
次の4神は加須屋大海祇の構成国で、志那都比古は那珂川の津だろうか。久久能智は東の「狗奴國」の狗古智卑狗と同じなので速日国の霊、鹿屋野比賣は熊襲の王が鹿文で、比賣は熊襲の日別の女神である。そして、大山上津見、『伊未自由来記』では加須屋の大神祇、次の世代が大海祇の次の世代が出雲の大山上津見であり、その次が鞍山祇で、大国の神生みに続く。