2023年12月8日金曜日

最終兵器の目  新しい古代 日本の古代史研究

日本の古代史は、「まずは『日本書紀』ありき」で、言わば「国定教科書」と言えた。『日本書紀』が正しく、それ以外は間違い、国家という権威の当然な在り方であった。古代8世紀の国家の有力者の中には、『日本書紀』と異なる歴史を持つ人々が多数存在する。其々、氏族毎に、其々、氏族毎の歴史観が有ったはずだ。それらの人物が『舊事本紀』や『古事記』を記述したと思われる。国家の権威はそれらを偽書と扱った。

ところが、江戸時代に、国学者の本居宣長は『古事記』が正しいと考えた。『古事記』と『日本書紀』は相違点が多数あり、権威を否定したのである。そして、その頃、「邪馬台国論争」が勃発していた。新井白石は『古史通或問』で大和説を主張して朝廷のことだとした。日本に権威は大和朝廷だけと考えたのだろう。しかし、新井白石は「外国之事調書」では「筑後国山門郡説」を説いた。複数の権威が、古代には存在したと主張したわけだ。そして、本居宣長も『古事記』が正しいのだから、『馭戎概言』で、九州の熊襲による「偽僭説」を提唱した。大和朝廷が中国に朝貢して、配下になるなどとんでもないと考えたのだ。日本は建国以来、畿内以外の首都は存在しないのだから、当然だと考えたのだろう。

「邪馬台国論争」は、権力が複数あったか、畿内だけかの論争だ。『三國志』が正しければ、複数の権力、間違いなら、畿内政権だ。『三國志』の間違い論争が高まれば高まるほど、畿内政権が勝つ論争である。「東か南か」、「陸行か船行か」など意味がないのである。首都の遺跡は纏向に有る。年代の測定結果など、100年近い幅があると主張して問題なし。もし、「親魏倭王」の金印が出土しても、常套手段の偽造や盗難とすれば良い。権威が主張すれば、みな黙る。

 しかし、本居宣長の「『古事記』が正しい」は、衝撃を与えた。『古事記』が正しければ、『日本書紀』に間違いがある。『日本書紀』の元明朝の官僚の偽作説が誕生することとなった。『三國志』も作者の陳寿の信頼性を貶め、誇張だ、間違いだと主張した。「邪馬台国論争」は罪作りな論争だ。現代の何でも有りの歴史観と違い、古代はまじめな人々だ。『三國志』は晋朝の目で見た事実だ。『舊事本紀』や『古事記』も、その時代にあった『日本書紀』を基に、その氏族の目で見た事実なのだ。『三國志』が正しければ、必然の結果が導かれる。すると、誰も儲からず、マスコミも飛びつかない。

0 件のコメント:

コメントを投稿