『三國志』に対して、『古事記』の『三國志』までの頃までと比較しよう。游斯呂和気以前に出現する国は次のようだ。游斯呂和気までは、薨去日がはっきりしない、記録の無い世界のためだ。戊寅年318年から乙卯年355年の就位の若帯日子以降は王位の就位期間が解っている。なぜなら、干支で薨去日を示すのは、その間隔が60年以内だからである。それ以上なら、干支は意味をなさない。役職に60年以上就くと、80歳を超え、古代ではまずない。
また、意祁王が記述した国生み神話の部分は、意祁王の時代を背景にした大八嶋と考えられる。讃岐國造や阿波國造は履中天皇期より後に造られる。阿波國の初出は允恭期の「狹磯是阿波國長邑之海人」である。そして、綿津見神は阿曇連の祖、履中天皇の時の阿曇連濱子が初出である。同様に、豊國別王の日向國造の祖の様な説明文の国も除く。
出現國は「出雲國、伯伎國、黄泉國、葦原中國、食國、刺國、大國、宇都志國、木國、根堅州國、高志國、倭國、常世國、近淡海國、豊葦原之水穂國、天津國、美濃國、科野國、韓國、若國、豊國、阿岐國、紀國、起國、針間國、稲羽國、旦波國、山代國、但馬國(多遅麻國)、三野國、尾張國、科野國、弟國、大倭國、相摸國、東國、河内國、安國」である。
美濃國と三野國は同じ読みだが、私は三野國が三国ではないかと思っている。食國は隠洲国、安國は野洲国、根堅州國は淀川河口、宇都志國は菟道の津の大津の志木と考える。気づくところは、日向國や熊襲國、筑紫國、奴國、伊都國をはじめ、九州の国が含まれていない。九州は、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連と『古事記』記述時に書かれた。熊曾建は敵国に入って、暗殺した人物である。豊國は安芸國が豐の秋津と呼ぶように、東の「拘奴國」で関門海峡を渡った東だ。
神武東征で日向や竺紫は記述される。宇沙は豐國の宇沙、『古事記』の神話では、日向や竺紫は勢力範囲外の権威が届かない国だ。日向や竺紫は国と認めていないことを示している。『古事記』の出現國には壱岐国もない。しかし、対馬と考えられる国があり、それが、天津國と黄泉國だ。『三國志』の「對海國」は「方可四百餘里」、20㎞四方と記述する。しかし、実測は最長72㎞、3国分の距離である。すなわち、水葬で対馬海流の最下流に死体が流れ着く「黄泉國」、もう一方が「天津國」なのだろう。そして、もしかしたら、もう一国、「對海國」も有ったかもしれない。倭国と畿内政権は別国だから。
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