2023年12月4日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 まとめ

  『日本書紀』は藤原氏も含めて完成させた史書である。正史と異なる記述は当然別資料があったことを示す。『家傳』は、俀国の年号での記録だろう。白鳳や斉明の年号と倭国の元号の白雉や日干支での記録とを対応させた。同様な方法の結果が『日本書紀』だった。それぞれの王家にはそれぞれの基準年号がある。大神の宮には、日干支で書かれた、宮の行事、礎石(底津石根)に宮の大黒柱を立てる「宮建立」から始まる。そして、宮の神、前女王の皇太后を祀り(死者の神を合祀)、新しい女王が即位する。皇太后()を迎えるので、前宮は廃宮となり、女王が絶えると、最有力者(皇后の兄弟)の姫()を迎える。「栲幡娘姫皇女侍伊勢大神祠」や「離天照大神於豐耜入姫命」である。年中行事のため、朔の日干支は必ず記録される。それぞれの王家は、おそらく、相対的年数や日付を記録(墓誌の年干支)、冬至から、立春から何日後という日付なのだろう。

そして、「最終兵器の目」が登場した。ユリウス数から算出する朔の日干支である。陳寿は信頼できないと軽んじられた『三國志』をはじめとする、中国史書の日蝕の日干支が正しかった。少なくとも、中国史書の日干支が正しいことを証明した。中国史書の年数や朔の日干支の矛盾も、改暦の為であったことも証明した。偽書なら、暦も嘘を作ればよい。だが、暦は正しい。暦が正しければ、記事も正しいと考えられ、中国史書は正しいことが前提になる。

『日本書紀』は正しい日干支と間違いの日干支がある。すなわち、日干支が正しい記述は記録、間違いの日干支は寄せ集めてきた、記録と証明できる。そして、間違いの日干支はいつの日干支を持ってきたかが解る。残念なのは、寄せ集めなのだから、正しい日干支も違う場所からと頭の片隅に。そして、私の新『日本書紀』は天文学的数値で裏付けた歴史だったのである。辛酉の年干支で1月朔日が庚辰の日は紀元前660年だけだ。建国の日は正しかった。

疑問があるのなら、晦日や2日に日蝕が起こる大発見を証明してほしい。ユリウス数無しで、正確な朔を算出できる方法を教えてほしい。奈良時代に千年以上前の朔を算出できる計算式を示してほしい。太陽と月と地球の位置関係を定数で算出するのは不可能だ。地球は楕円に公転し、地軸の「ズレ」、長軸と短軸の速度は異なる。奈良時代の人々は、このような天文知識がない。もう止めよう。権威ある歴史学者の頭の中にしかない歴史から抜け出そう。『日本書紀』は偽書、『三國志』も信用できない、『野中寺銅造弥勒菩薩半跏思惟像本像台座の框』も偽造と権威は言う。偽書や偽造はどこから証明したのか。偽書という『日本書紀』をもとにした研究のなれの果てである。嘘から出た嘘だから本当のはずがない。非主流の研究者には宝の山がここに眠っているから、ここからが出発点だ。

私は、まず、『日本書紀』の矛盾を考えた。そして、『日本書紀』をもとに、他書との矛盾を、考えた。最後に、他書をもとに、『日本書紀』を考えた。次は真実の日本の古代史を考えよう。

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