2023年12月11日月曜日

最終兵器の目  新しい古代 『三國志』と地図

  『三國志』の信頼度が95パーセント以上正しく、グーグルマップで、距離が正確にわかる。3百里の壱岐は16㎞、1里約50mだ。しかし、1里50mでは唐津から、皆が想定する場所に届かない。合計「萬二千餘里」にも足りない、不明の足りない千四百里の問題だ。正しいはずなのに。また、「不彌國」と「邪馬壹國」間の距離記述がない。95パーセント以上正しい『三國志』、抜かりが無いはず。そこで、距離の記述がないから、理解できた。「不彌國」から「邪馬壹國」の首都までの距離ではなく、国境間距離だということが。両国間は0里、川が国境だ。国境の両岸が「不彌國」と「邪馬壹國」なのだ。足りないのは、領内の広さ、しかし、それはもう書いてある。壱岐や対馬の方三百里と方四百里だ。1国の領内の広さは15~20㎞である。「末盧國」は海岸線を船行する途中の様子である。「末盧國」の領内を通っていない。「末盧國」国境から歩行、記述は国境間である。記述が無いのは、「伊都國」と「不彌國」の領内の三~四百里である。足りない距離が埋まった。この結果は95パーセント以上の確率で『三國志』が正しいと、数値で示された。

対馬は縦長で70㎞、方四百里20㎞と矛盾する。しかし、対馬には、少なくとも、複数国があり、特定できないと思われるからだ。対馬は『山海經』で「女子國」とされる国で、「兩女子居水周之」と島に二人の女王が居た。月神と日神と考えられる。現在も上下の県郡が知られていて、国境が解らない。しかし、『三國志』は95パーセント以上正しい。すなわち、対馬内にある、三分の一の距離の国だ。『三國志』の距離認識を否定する根拠が、朝鮮や明の古地図である。朝鮮の1402年作と言われる『混一疆理歴代国都之図』や1532年作と言われる『四海華夷総図』などだ。日本が巨大だったり、北が南だったりしたので、海洋民族の日本人には奇異に見えただろう。

しかし、海を知らない騎馬民族の人々にとっては、『三國志』の記述をもとに描く以外方法が無い。日本は「有侏儒國在其南・・・去女王四千餘里」と記述されている。四千餘里、200㎞位で、沿岸船行で国東半島あたり、侏儒の土蜘蛛が居る土地だ。『日本書紀』に「到碩田國・・・茲山有大石窟曰鼠石窟有二土蜘蛛」、碩田は大分市だ。ところが、明の人々は、1里400mなので1600㎞、フィリピンに届く。北方騎馬民族の距離感と、歩行漢民族の距離感の違いである。里単位の違いを知らない地図を、愚かな日本の権威者が見た。中国人への侮蔑が生み出した錯誤だ 。




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