2021年9月3日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段9

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・故尓八十神怒欲殺大穴牟遅神共議而至伯伎國之手間山本云赤猪在此山故和禮共追下者汝待取若不待取者必將殺汝云而以火焼似猪大石而轉落尓追下取時即於其石所焼著而死尓其御祖命哭患而参上于天請神産巣日之命時乃遣𧏛臭(貝)比賣與蛤貝比賣令作活尓𧏛貝比賣岐佐宜集而蛤臭(貝)比賣待承而塗母乳汁者成麗壮夫(訓壮夫云袁等古)而出遊行於是八十神見且欺率入山而切伏大樹茹矢打立其木令入其中即打離其水自矢而拷殺也尓亦其御祖哭乍求者得見即析其木而取出活告其子言汝者有此間者遂爲八十神所滅乃速遣於木國之大屋毘古神之御所尓八十神覓追臻而矢刺乞時自木俣漏逃而云可参向須佐能男命所坐之根堅州國必其大神議也故随詔命而参到須佐之男命之御所者其女須勢理毘賣出見爲自(目)合而相婚還入白其父言甚麗神來尓・・・」、【それで八の十柱は怒って、大穴牟遲を殺そうと一緒に相談して、伯伎の國の手間の山本について、「赤い猪がこの山にいる。それで、和禮が一緒に追ひ下すので、お前は待って捕まえろ。もし待って捕まえなかったら、きっとお前を殺す。」と言って、火で猪に似た大石を燒いて、転げ落した。それで追ひ下したものを取る時、その石に焼き付いて死んだ。それでその祖は、泣き憂いて、天に參上して、神産巣日にお願いした時、乃ち𧏛貝比賣と蛤貝比賣とを派遣して、もとどうりに復活させた。それで𧏛貝比賣は、削り集めて、蛤貝比賣は、待ち受けとり、母の乳汁と塗ったら、麗しい壯夫に成って、外出して歩き回った。そこで八の十柱は、また騙して山に引き入れ、大樹を切り伏せて、茹でた矢を楔としてその木に打ちつけ、その中に入ったら、その楔を打ち離して、打ちたたいて殺した。それでまた、その祖は、哭いて救いを求めると、睨みつけて、その木を折って取り出し復活させて、その子に、「お前はここにいたら、いつか八の十柱の爲に滅ぼされる。」と告げて、それで木國の大屋毘古の所にすぐに派遣した。そこに八の十柱は追い求めてやって来て、矢で刺そうとした時に、木の俣から漏れ逃がれて「須の佐能男のいる根の堅州國に行きなさい。きっとその大神が相談に乗る。」と言った。それで、言われたとおりに、須の佐能男の所に行くと、その娘の須勢理毘賣が出て来て、見染めて、婚姻して、還って来て、その父に「とても麗いある神が来た。」と言った。】と訳した。

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「・・・因斯事八十神急欲殺大巳貴神共議而到伯耆國之手向山本云赤猪在此山故吾共追下者汝待取若不待取者必將殺汝云而以火焼似猪大石而轉落尓追下取時即於其石(?)焼著而死矣尓其御祖命哭患而叅上于天請神髙皇産靈尊之時乃造訓黒具姫與蛤貝八姫命作治尓訓黒貝姫岐佐冝集而蛤具姫侍承而塗母乳汁者成麗帳夫而出遊行矣事八十神且欺率八山而切狀大樹茄矢打立其手合入其木中則打離其氷目矢而栲殺矣尓亦其御祖命哭乍求者得見即折其木而取出治矣御祖命告其子言汝有此間者遂為八十神(?)滅矣乃速遣於紀國之大屋彦神御所八十神覔追臻而矢(?)之時自木俣漏而逃矣御祖命告子云可(?)速素戔烏尊(?)坐之根之堅(?)國必其大神議矣」、とほゞ同じである。

この説話は大國建国説話の「三身」の綱で建国した後の説話で三(神)国の産巣の神名が「ひ」の神になっていて、木国の王が「日子」の官位を持ち、安寧天皇から懿徳天皇の頃の「八国」衰退時の前6世紀頃の神話と考えられる。

因幡が和珥で伯耆が和禮で、『古事記』が神武天皇を神倭と「みや」の「や」を倭と書き換えて特別視していることから、この和珥や和禮も八珥・八禮のことで、因幡も伯耆も八国の構成国と解り、大八国の説話と考えられ、宗像(日国)・小国・三国・八国・安芸国・岐(隠岐・対岐・壱岐)国・道国(因幡・伯耆)・木国と大国と八つの国があったので神話を造った恐らく野洲の人物が、自国のや国に八の国が配下になったことで八国と記述したと考えられる。

君子国の三国王の溝橛が八国王の事代主に敗れて、前7世紀に神倭国となり、日国の援助を受けた大国の大巳貴に神倭国が敗れて大倭国(磯城王朝)、前5世紀は剱根が皇位を奪って東鯷国、前3世紀には物部氏による辰国、前1世紀は大彦の大国に敗れて分裂し、物部氏の伊勢遺跡の秦国と尾張氏の貴(木)国(日本国)、東鯷国は若狭・大国・中国(豊国)を分家が支配し、後漢時代には『後漢書』に「大倭王居邪馬台國」と倭奴国も配下としたと考えられる。

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