2021年9月22日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段5

 続けて『日本書紀』慶長版一書()は「・・・乃合八十萬神於天髙市帥以昇天陳其誠款之至時髙皇産靈尊勅大物主神汝若以國神爲妻吾猶謂汝有䟽心故今以吾女三穗津姫配汝爲妻宜領八十萬神永爲皇孫奉護乃使還降之即以紀伊國忌部遠祖手置机負神定爲作笠者彥狹知神爲作盾者天目一箇神爲作金者天日鷲神爲作木綿者櫛明玉神爲作玉者乃使太玉命以弱肩被太手襁而代御手以祭此神者始起於此矣且天兒屋命主神事之宗源者也故俾以太占之卜事而奉使焉髙皇産靈尊因勅曰吾則起樹天津神籬及天津磐境當爲吾孫奉齋矣汝天兒屋命太玉命宜持天津神籬降於葦原中國亦爲吾孫奉齋焉乃使二神陪從天忍穗耳尊以降之是時天照大神手持寶鏡授天忍穗耳尊而祝之曰吾兒視之寶鏡當猶視吾可與同床共殿以爲齋鏡復勅天兒屋命太玉命惟爾二神亦同侍殿內善爲防護又勅曰以吾髙天原所御齋庭之穗亦當御於吾兒則以髙皇産靈尊之女號萬幡姫配天忍穗耳尊爲妃降之故時居於虛天而生兒號天津彥火瓊瓊杵尊因欲以此皇孫代親而降故以天兒屋命太玉命及諸部神等悉皆相授且服御之物一依前授然後天忍穗耳尊復還・・・」、【すなわち八の十の萬神を天の高市に集めて、一緒に天に昇って、その帰順に至った経緯を述べた。その時に高皇産靈は、大物主、「お前はもし国神を妻としたら、私はまだお前が反逆心が有ると思うだろう。だから、今は私の娘の三穗津姫を、お前に娶わすから妻にしなさい。八の十の萬神を率いて、ずっと皇孫のことを守って仕えなさい」と詔勅して、還り降らせた。すなわち紀國の忌部の遠祖の手置帆負を、定めて笠作にした。彦狹知を盾作・天目一箇を金作・天日鷲を木綿作・櫛明玉を玉作にした。すなわち太玉を、貧弱な肩に太い手繦を掛けて、御手代にして、この神を祭らせるのは、ここから始まった。また天兒屋は、神事の主の宗源者である。それで、太占の卜事で、仕へた。高皇産靈は、それで、「私は天の津の神籬および天の津の磐境を起し樹て、私の孫ために身を清めて祀った。お前達天兒屋・太玉は、天の津の神籬を持って、葦原の中國に降って、また私の孫の為に身を清めて祀りなさい」と詔勅した。それで二柱の神を派遣して、天の忍穗耳に従わせて降らせた。この時に、天照大神は手に寶鏡を持って、天の忍穗耳に授けて、祝って、「私の子が、この寶鏡を視るのは、私を視るのと同じだ。床を同じにし、御殿を共にして、祈りの鏡にしなさい」と詔勅した。また天兒屋・太玉に、「お前達二柱の神も、一緒に御殿の中で仕えて、ちゃんと護衛しなさい」と詔勅した。また「私の高天原にいる祈祷の庭の穗を、私の子に任せる」と詔勅した。すなわち高皇産靈の娘の、萬幡姫を、天の忍穗耳に娶わせて妃として降らせた。それで、その時に虛天に居て生まれた子を、天の津彦の火の瓊瓊杵と言う。そのためこの皇孫を親に代って降らせようと思った。それで、天の兒屋・太玉、および諸部の神達を、皆残らず皆授けた。また王の衣を最初に着せて授けた。その後で、天の忍穗耳は、天にまた還った。】と訳した。

八十萬神を八の十の萬神と訳しているが、ここに記述する神々も三穗津姫・大物主・事代主・手置帆負・彦狹知・天目一箇・天日鷲・櫛明玉・天兒屋・太玉と10柱以上記述されず、たくさんの神とは思えないので、10柱の神の萬神と考え、大物主の子大田田根子も『古事記』に「意富多多泥古人之時於河内之美努村見得其人」と河内の人物で、大物主は崇神朝の人物で、この頃の畿内から仲国に天降った神話のようだ。

前項でも安寧朝廷の後の神話としたが、出現する虚天と天を空の文字の代わりにしているので、実際に文書化されたのは、応神紀の285年記事の「習諸典籍於王仁」、実際は400年頃に入って来た中国文献を見て創った造語と考えられ、『山海經』の『山經』の山の上にある天、高山の水源を想定しているようだ。

そして、日本でも、海中六合の天出身の人々が山の上の水源に領地を得て、そこを天と考えて虚天の文字を採用し、『日本書紀』を記述した平郡氏より早く中国文献を見て、表意文字を使い始めた葛城王朝の人々の配下の氏族が記述した一書ではないだろうか。

中臣氏は仲哀天皇の崩御時に「齋宮親爲神主則命武内宿禰令撫琴喚中臣烏賊津使主爲審神者」のように武内宿禰と共に仕え、「嚴之事代主神有之也」と登場人物が類似し、中臣氏が足仲彦の臣下になったことを示している。

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