2021年9月1日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第八段8

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・所以避者其八十神各有欲婚稲羽之八上比賣之心共行稲羽時於大穴牟遲神負佩(帒)爲從者率往於是到氣多之前時裸菟伏也尓八十神謂其菟云汝將爲者浴此海塩當風吹而伏高山尾上故其菟從八十神之教而伏尓其塩随乾其身皮悉風見吹析故痛苦泣伏者最後之來大穴牟遅神見其菟言何由汝泣伏菟荅言條(僕)在淤岐嶋雖欲度此地無度因故欺海和迩(此二字以音下効此)言吾與汝競欲計族之多少故汝者随其族在悉率來自此嶋至于氣多前皆列伏度尓吾蹈其上走乍讀度於是知與吾挨熟多如此言者見欺而列伏之時吾蹈其上讀度來今將下地時吾云汝者我見欺言竟即伏最端和迩神(捕)我悉剥我衣服因此泣患者先行八十神之命以誨告浴海塩當風伏故爲如教者我身悉傷於是大穴牟遲水門以水洗汝身即取其水門之捕(蒲)黄敷散而輾転其上者汝身如本膚必差故爲如教其身如本也此稲羽之素菟者也於今者謂菟神也故其菟白大穴牟遅神此八十神者必不得八上比賣雖負佩(帒)汝命獲之於是八上比賣八十神言吾者不聞汝等之言將嫁大穴牟遅神・・・」、【支配されることになったのは、その八の十柱が、各々、稻羽の八の比賣と婚姻しようと考えて、一緒に稻羽に行った時、大穴牟遲に帒を負わせ、従者として連れて行った。そして氣多の前についた時、裸の菟が伏せっていた。そこに八の十柱は、その菟に、「お前がするべきは、この潮を浴び、風が吹くのにあたって、高山の尾の上に伏っていなさい。」と言った。それで、その菟は、八の十柱の教えどおり伏ていた。しだいにその塩が乾くと、その体の皮が残らず風に吹きさらされて裂けてしまった。それで、痛み苦しんで泣き伏せっていると、最後に来た大穴牟遲が、その菟を見て、「どうしてお前は泣き伏せっている。」と言うと、菟が「私は隠岐の島にいて、この地に渡ろうとしたが、方法が無かった。それで、海の和迩を欺して、『私とお前が競って、同族の多少を調べよう。それで、お前はその同族の在るまま、残らず率いて来て、この島から気多の前まで、皆並べ伏して差し渡せ。そこを私がその上を蹈み数えて渡ろう。それでに私の同族とどちらが多いか調べよう。』と言った。この様に言ったら、騙されて列をなして伏せったので、私はその上を踏んで、数え渡って来て、今にも地に降りようとしたとき、私は、『お前は私に騙された。』と言ひ終わると、最後に伏せった和迩が、私を捕えて残らず私の衣服を剥いだ。そのため泣き患いていたら、先に行った八の十柱に、『潮を浴びて、風にあたって伏せていなさい。』と教えられた。それで、教えどうりしていたら、私の体が傷んだ。」と言った。そこで大穴牟遲は、その菟に、「今、すぐにこの水門に往って、水でお前の体を洗って、その水門の蒲の穂を取って、敷き散らして、その上で転げまわれば、お前の体はもとどうりに、きっと癒える。」と教えた。それで、教のとおりに、その体が本どうりになった。これが稻羽の素菟だ。今は菟の神という。それで、その菟が、大穴牟遲に、「これらの八の十柱は、きっと八の比賣を得られない。帒を背負っていても、お前が得るだろう。」と言った。そこで八の比賣は、八の十柱に答へて「私はお前たちの言うことを聞かない。大穴牟遲に嫁ぐ。」と答えた。】と訳した。

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は一部前後させて「・・・大巳貴兄事八十神也夫所以奉避此國於大巳貴神者兄弟二神各有欲(?)羽稻八上姫之心共行稲羽之時於大巳貴神負袋爲願従者率往相是到於氣多﨑之時裸(?)有狀矣于時兄事八十神謂其(?)白汝將爲者浴此海塩當風吹而伏髙尾山上其(?)隨八十神教而伏之時其塩隨乾其身皮悉風見吹故病若泣々伏矣其最後來大穴遅神大巳貴神見其(?)言何由汝泣付伏(?)荅言僕在於岐嶋雖欲渡此地不由渡傳故欺海和迩言吾與汝競欲計族之多少故汝者隨其族在皆悉率來始自此嶋迄氣多崎背列伏渡尓吾蹋其上乍走讀渡爰知與吾族熟多如此言者見欺而列伏之時吾蹋其上讀渡々來今將下地時吾云汝者我見欺言竟則伏最端和迩捕吾悉剥我衣服因此泣患者先行事八十神令以誨告浴塩當風伏故爲如教者我身悉傷矣大巳貴神教告其(?)今急往此水門以水洗汝身即取其水門之蒲黄敷散而轉其上者汝身如本薦必差故爲如教其身如本矣今謂稲羽素(?)(?)神是也于時(?)白大巳貴神云八十神者必不得八上姫雖負袋而汝命獲矣於其八上姫荅八十神云不聞汝等之言將嫁於大巳貴神矣・・・」とあり、『古事記』とほとんど類似しているが、『舊事本記』は兄弟2神として、『舊事本記』は古代の神話を現実的に理解している。

この説話は最も古い大穴牟遲の説話で、『日本書紀』に出現しない説話ということは、巨勢氏と平郡氏の家系で異なる系図は雄略天皇の皇后が葛城氏、巨勢氏の皇后が和珥臣なので、和珥臣の神話が基と考えられ、う狭岐すなわち「う」という「狭」国の神が因幡に出兵して和珥氏の先祖と戦い敗れた時に、八国の十臣も和珥氏の先祖に加担したのを、丹波大国王の大穴牟遲がう狭岐を助け、八国の女王を妻にすることが出来たという神話と思われる。

この神話の舞台は、稲葉、大国である丹波・山背、神国は三国で、その東には能登の八岐大蛇がいて、三国と思われる「君子國」の北に「兩水間」と半島の住人で「八首人面八足八尾」の「朝陽之谷」があり,「神」がいると『山海經』に記述され、「三国」は「神国」のことだ。

八国は奈良県に事代主が居たのだから、大和より東で能登から建御名方が諏訪に逃げているので、少なくとも諏訪、時代は殷以前なので、勢力範囲は土器の共通性から越後までが八国の勢力範囲だったと考えられ、「八国」の起源を私は「野洲」と考え、若国は若狭、木(貴)国は木津、君主国は三国から木津までの日本海・琵琶湖西岸・淀川水系の地域と考えている。

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