2021年9月20日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段4

 『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰天神遣經津主神武甕槌神使平定葦原中國時二神曰天有惡神名曰天津甕星亦名天香香背男請先誅此神然後下撥葦原中國是時齋主神號齋之大人此神今在乎東國檝取之地也既而二神降到出雲五十田狹之小汀而問大己貴神曰汝将以此國奉天神耶以不對曰疑汝二神非是吾處来者故不湏許也於是經津主神則還昇報告時髙皇産靈尊乃還遣二神勅大己貴神曰今者聞汝所言深有其理故更條條而勅之夫汝所治顯露之事宜是吾孫治之汝則可以治神事又汝應住天日隅宮者今當供造即以千尋𣑥繩結爲百八十紐其造宮之制者柱則髙大板則廣厚又将田供佃又爲汝往来遊海之具髙橋浮橋及天鳥舩亦将供造又於天安河亦造打橋又供造百八十縫之白楯又當主汝祭祀者天穗日命是也於是大己貴神報曰天神勅教慇懃如此敢不從命乎吾所治顯露事者皇孫當治吾将退治幽事乃薦岐神於二神曰是當代我而奉從也吾将自此避去即躬披瑞之八坂瓊而長隱者矣故經津主神以岐神爲鄕導周流削平有逆命者即加斬戮歸順者仍加褒美是時歸順之首渠者大物主神及事代主神・・・」、【一書に、天神は、經津主・武甕槌を派遣して、葦原中國を平定させた。その時に二柱が、「天に悪い神がいる。名を天津甕星という。(またの名は天香香背男)。お願いします、まずこの神を誅殺して、それから下って葦原中國を平定しましょう」と言った。この時、祀りの主の神を齋の大人と言う。此の神は、今東國の檝取の地にいる。すでに二柱の神は、出雲の五十田狹の小汀に降ってきて、大己貴に「お前は、この国を、天神に渡すか否か」と問いかけた。「おかしなことを、お前たちは、私の所に仕えに来たのではないのか。許さない」と答えた。そこで、經津主は、昇り帰って報告した。その時に高皇産靈は、また二柱の神を派遣して、大己貴に「今、お前の言うことを聞いたが、お前の言うことは確かにもっともだ。それで、さらに筋を通してお前が治める現実の世界は私の孫が治めるべきだ。お前は神事を治めなさい。またお前が住む天の日隅の宮を今造ろうと、千尋の栲で編んだ、百八十紐を結んで縄にしよう。その宮を造る方法は、柱は高く太い。板は廣く厚くしよう。また直営の農地を与えよう。またお前が海を行き来するために、高橋・浮橋および天の鳥船も造ろう。また天の安河にも打橋を造ろう。また百八十縫いの白楯を造って与えよう。またお前が祭祀の主となるのは、天穗日だ」と詔勅した。そこで、大己貴は「天神のおっしゃることは、とても礼儀正しい。どうして逆らえましょう。私が治める現世界は、皇孫が治めなさい。私は退いて幽事を治めましょう」と返答した。それで二神に、「我に代って従いなさい。私はこれから直ぐに、退去します」と言って岐神を推薦して、それで体に瑞の八坂瓊を着けて、長に隱れた。それで、經津主は、岐神をその郷の導き手にして、巡って平定した。反逆者がいたら惨殺した。帰順したものは、褒美を与えた。この時に、帰順した首領は、大物主と事代主だ。・・・】と訳した。

この一書は穗日が既に出雲に存在し、安寧朝廷の皇后の兄弟の建飯勝の子の武甕槌時代の神話で、大八国・大倭国の主の官位を持つころの神話であるが、天津甕星は『舊事本記』に記述され、葛城氏の配下であり、物部氏にも仕えた中臣氏は特別に氏姓が連なのに葛城氏の圓大使主と同じく、中臣烏賊津使主と使主を使っているように、中臣氏の神話の可能性がある。

すなわち、中臣氏が經津主・武甕槌を使って天降って仲国を支配した神話、実際は岐神が前支配者の「うし・主」を追い出した神話で、岐神は君子国・三国の兵で、支配者「主」を中国史書を見て、「大人国」の王を追い出したので「大人」の文字を当て嵌めたと考えられる。

そして、ここでの登場人物は、『日本書紀』では大己貴・高皇産靈・天穗日は皇祖・神祖の時代、事代主は神武天皇の親の世代、大物主は崇神天皇の世代で『舊事本記』では武甕槌が懿徳天皇の頃で皇祖・神祖の時代、『古事記』では大物主が神武天皇の親の世代である。

すなわち、これらの神々は宮の象徴である初代の人名で、その宮が続く限り、その宮の主がその名を襲名していると考えるべきで、たとえば、建飯勝の子の建甕尻が建甕槌を襲名し、また、建甕之尾(男)を亦の名と記述し、天尾羽張神の子の「建甕槌之男神亦名建布都神」と記述され、「石上布都大神」を襲名していると思われ、垂仁天皇の時に出雲から神宝を石上に遷し、それが、「石上布都大神 」を名乗る理由で、布都大神が饒速日でそれを祀る神子は宇摩志麻治、天孫大祢で、代々天皇と呼ばれるように、代々大国主と呼び、代々大祢と呼ばれたのではないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿