2021年9月13日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段1

  日本書紀慶長版は「天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穗耳は、高皇産靈の女𣑥幡千千姫を娶って天津彦彦火瓊瓊杵尊を生んだので、皇祖の高皇産靈が、皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵を立てて、葦原中國の主としようとした。それで天穗日を派遣したが大己貴におもねり媚びて三年経っても報告が無かったので、その子の大背飯三熊之大人、またの名は武三熊之大人を派遣したが寝返って父に順って、音沙汰がなかった。それで、天國玉の子天稚彦に天鹿兒弓と天羽羽矢を与えて派遣しが、顯國玉の娘の下照姫(亦の名は高姫、亦の名は稚國玉)を娶って、葦原中國を治めようとしたので殺した。それで、また、磐裂根裂の子、磐筒男・磐筒女が生んだ子の、經津主と天石窟に住む稜威雄走の子甕速日、甕速日の子速日神、速日神の子の武甕槌を派遣し、出雲國の五十田狹之小汀に降り、大己貴に国譲りを求めた。すると、子の事代主神が答えると言ったので殺した。それで大己貴が王の璽である國を平定した時の杖にした廣矛を得た。そして、皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵を降らせ、皇孫は日向の襲の高千穗峯に降り、吾田の長屋の笠狹之碕に来て、事勝國勝長狹から国を得て、大山祇神との子の鹿葦津姫(亦の名が神吾田津姫、亦の名は木花之開耶姫)を娶った。それで、火闌降(隼人等の始祖)、彦火火出見、火明(尾張連等の始祖)の三子を生んだ。 天津彦彦火瓊瓊杵が崩じ、筑紫の日向の可愛之山の陵に葬った。」と国譲り・ 天孫降臨を記述している。

この神話は耳や彦の官位を持ち、豊国にまだ支配されていない「なか」国の主(王)になろうとし、出雲臣の祖の穗日や稚彦、これは、子が武三熊之大人と君子国(三国)や君子国の配下の大人国と関係が深そうである。

武甕槌は建飯勝の亦の名で事代主の孫にあたり、穗日を襲名した出雲臣の娘の沙麻奈姫を娶り、耳の官位の渟名川耳は伯父で、祖父事代主の死亡で、後ろ盾が無くなって建飯勝が出雲国主→出雲使主→出雲臣になったようで、5代後が大田田根子と崇神天皇の時代、広矛が有る前漢の時代で背景が良くあてはまる。

この神話に接合した、日向に侵略した火瓊瓊杵、当然この火は漢字が導入された後の表意文字で、日国の日を火山の火に置き換え、火の中から生まれた説話に繋がっていて、実際は穂と考えられ、瑞穂の国の穂で、官位が彦である。

そして『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰天照大神勅天稚彥曰豊葦原中國是吾兒可王之地也然慮有殘賊強暴横思之神者故汝先往平之乃賜天鹿兒弓及天真鹿兒矢遣之天稚彥受勅来降則多娶國神女子經八年無以報命故天照大神乃召思兼神問其不来之狀時思兼神思而告曰宜且遣雉問之於是從彼神謀乃使雉往候之其雉飛下居于天稚彥門前湯津杜樹之杪而鳴之曰天稚彥何故八年之間未有復命時有國神號天探女見其雉曰鳴聲惡鳥在此樹上可射之天稚彥乃取天神所賜天鹿兒弓天真鹿兒矢便射之則矢達雉胸遂至天神所處時天神見其矢曰此昔我賜天稚彥之矢也今何故来乃取矢而呪之若以惡心射者則天稚彥必當遭害若以平心射者則當無恙因還投之即其矢落下中于天 稚彥之髙胸因以立死此世人所謂返矢可畏之縁也時天稚彥之妻子從天降来将樞去上而於天作喪屋殯哭之先是天稚彥與味耜髙彥根神友善故味耜髙彥根神登天弔喪大臨焉時此神形貎自與天稚彥拾然相似故天稚彥妻子等見而喜之曰吾君猶在則攀持衣帶不可排離時味耜髙彥根神忿曰朋友喪亡故吾即来弔如何誤死人於我耶乃拔十握剱斫倒喪屋其屋随而成山此則美濃國喪山是也世人要以死者誤己此其縁也時味耜髙彥根神光儀花艶映于二丘二谷之間故喪會者歌之曰或云味耜髙彥根神之妹下照媛欲令衆人知映丘谷者是味耜髙彥根神故歌之曰(略)此兩首歌辞今號夷曲・・・」、【一書に、天照大神は天稚彦に、「豐葦原中國は、吾が兒が王となる地だ。然しながら考えたら、殘賊強暴悪神がいる。それで、お前がまず言って平定しなさい」と詔勅した。それで天鹿兒弓、及び、天眞鹿兒矢を与えて派遣した。天稚彦は、詔勅を受けて降って来て、多くの国神の中の1女子を娶って、八年に経っても復命しなかった。それで、天照大神は、思兼を召して、帰ってこない理由を調べさせた。その時に、思兼は、考えて、「雉を派遣して調べさせましょう」と言った。そこで、その思兼の考えに従って、雉を使って往って調査させた。雉が飛び下って、天稚彦の門の前の湯津杜樹の梢で、「天稚彦は、何故八年の間経っても、復命しない」と鳴いた。その時に國神がいて、天探女と言った。雉を見て、「鳴聲の煩わしい鳥が、樹の上にいる。射て」と言った。天稚彦は、天神から貰った天鹿兒弓・天眞鹿兒矢を取って、射殺した。それで矢が、雉の胸から、遂に天神の所まで飛んできた。その時に天神は、其の矢を見て、「これは昔私が天稚彦に与えた矢だ。今、何故か飛んできた」と言って、それで矢を取って、「もし邪心を以って射たのなら、天稚彦には、きっと悪いことが起こる。若し穏やかな気持ちで射たのなら、何も起こらない」と呪った。それで、射返した。それで、その矢が落下して、天稚彦の胸に命中した。それで死んだ。これが、世の人が、所謂、返矢は畏しいと言うい由縁だ。この時に、天稚彦の妻子達が、天から降って来て、柩をもって上って行って、天に喪屋を作って殯して哭いた。これより前に、天稚彦と味耜高彦根は仲が良かった。それで、味耜高彦根は、天に登って喪に服して弔問に臨んだ。この時に、此の神の容貌が、天稚彦とよく似ていた。それで、天稚彦の妻子達は、見て喜んで、「私の夫はまだ生きていた」と言った。それで帶にしがみついて、振り払えなかった。その時に味耜高彦根は、「朋友が死んだ。それで、私は弔いに遣って来た。どうしてその死人と見誤るのだ」と怒って、それで、十握劒を拔いて、喪屋を切り倒した。その喪屋が崩れ落ちて山と成った。これが美濃國の喪山だ。世の人は、死者と他人を見誤ることを忌むのは、これが由縁だ。この時の、味耜高彦根の、様子は煌びやかで2山・2谷にわたる程輝いた。それで、喪で集まった者が歌って、あるいは、味耜高彦根の妹の下照媛が、衆人に丘谷に映える者が、味耜高彦根ということを知らしめようと思い、歌った(略)この2首の歌は、今、夷曲と呼ぶ。】と訳した。

この一書は、本文が、穂日の丹波大国への国譲りに対して、天穂日の説話が無く、天穂日が出雲王となった後の説話となっているが、これは、国譲りも、忍穗耳の天降り、忍穗耳の子の瓊瓊杵の天降り説話、穗日・天津彦根・活津彦根・熊野樟日の其々の国譲り神話があったことが想定される。

『日本書紀』・『古事記』で天降るのが瓊瓊杵で『舊事本記』で天降るのが饒速日で、父の忍穗耳事態が複数人いて、すなわち、時代が違う、国が違う忍穗耳がいて、弟が先に天降る神話が先在したことをこの神話は示している。

弓矢が王の璽である、一番最初の日国の穂にやって来た、穂という地域で王を日と呼ぶ時代、王の日によって日国が統一され、その王が稚という地域で日子と呼ばれた次の時代の神話、日子と同じように根子という王がいるのだから、根に天降った八国若しくは大八国王の配下の彦という官位を持つ王の神話が有り、それらの神話の一部をつなぎ合わせて『日本書紀』本文の神話を作り上げたと考えられ、この一書は、美濃の説話が語られるので、三国か近江の神話の可能性が高い。


0 件のコメント:

コメントを投稿