2021年9月15日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段2

  そして『日本書紀』慶長版一書は続けて一書()・・・既而天照大神以思兼神妹萬幡豊秋津媛命配正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊爲妃令降之於葦原中國是時勝速日天忍穗耳尊立于天浮橋而臨睨之曰彼地未平矣不湏也頗傾凶目杵之國歟乃更還登具陳不降之状故天照大神復遣武甕槌神及經津主神先行駈除時二神降到出雲便問大己貴神曰汝将此國奉天神耶以不對曰吾兒事代主射鳥遨遊在三津之碕今當問以報之乃遣使人訪焉對曰天神所求何不奉歟故大己貴神以其子之辭報乎二神二神乃昇天復命而告之曰葦原中國皆已平竟時天照大神勅曰若然者方當降吾兒矣且将降閒皇孫已生號曰天津彥彥火瓊瓊杵尊時有奏曰欲以此皇孫代降故天照大神乃賜天津彥彥火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉及八咫鏡草薙剱三種寶物又以中臣上祖天兒屋命忌部上祖太玉命猨女上祖天鈿女命鏡作上祖石凝姥命玉作上祖玉屋命凢五部神使配侍焉因勅皇孫曰葦原千五百秋之瑞穗國是吾子孫可王之地也宜爾皇孫就而治焉行矣寶祚之隆當與天壤無窮者矣・・・」、【すでに、天照大神は、思兼の妹の萬幡豐秋津媛を、正哉吾勝勝速日天忍穗耳に娶わせて妃とし、葦原中國に降らせた。この時に、勝速日天忍穗耳は、天浮橋に立って、臨み、「あの土地はまだ開けていない。頭をかしげるほど見るに堪えないから必要ない」と言って、すなわち帰って、詳細に降らない理由を言った。それで、天照大神は、また武甕槌、及び經津主を派遣して、先に行って平定するよう命じた。その時に二柱は、出雲に降り到って、すなわち大己貴に「お前は、この國を、天神に引き渡すか否か」と問いただした。「私の子の事代主が、狩りをして、三津の岬にいる。今、返答を待っている」と答えた。それで使者を送った。「天神が求めるのに、どうして引き渡さないものか」と答えて言った。それで、大己貴は、その子の返事で、二柱に報告した。二柱は、それで天に昇って、「葦原中國は、みなすでに平定し終えた」と復命した。その時に天照大神は、「もしそうなら、我が子を降らせよう」と詔勅した。丁度降らせようとしたときに、皇孫が、生れた。名を天津彦彦火瓊瓊杵と言う。この時に「この皇孫を代りに降せようと思う」と奏上した。それで、天照大神は、天津彦彦火瓊瓊杵に、八坂瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙劒の三種の寶物を与えた。また、中臣の上祖の天兒屋・忌部の上祖の太玉・猨女の上祖の天鈿女・鏡作の上祖の石凝姥・玉作の上祖の玉屋、全部で五部を、一緒に仕えさせた。それで、皇孫に「葦原の千五百の秋の瑞穗の國は、我が孫が王であるべき土地だ。お前皇孫よ、王に就いて治めなさい。行きなさい。天子の位が隆盛するように、天の土壌が困らないように」と詔勅した。】と訳した。

ここでは、高皇産霊を記述せず、栲幡千千姫を付加しない萬幡豐秋津媛で、多くの神話をつなぎ合わせる手法がよくわかり、名前で接合したり、親子関係で接合させ、あたかも、同じ人物の神話と見せている。

同一の一書内にもかかわらず、王の爾が弓矢から、玉と鏡と剱に変質し、国譲りの舞台が琵琶湖周辺から中国を支配する出雲に変質し、おそらく、 天津彦根か活津彦根の根国の国譲りを迫った説話に感じられ、安芸王になる思兼や中国王になる天兒屋の神話を内包していると考えられる。

そして、安芸王の思兼の婿の忍穗耳は安芸国の穂の王となって、耳という官位を持ったことを示し、高皇産霊を思兼の父とするのは、日王が高皇産霊と考えられ、その分国の豊国に安芸が支配されたため、神話で親子関係となったと考えられる。

出雲では矛と銅鐸が多数出土し、銅鐸の八国の琵琶湖周辺や君子国の末裔が大八国から追われて、銅矛の宗像の姫を得て出雲に天降った、建飯勝の王朝の遺跡で、孝霊天皇から崇神天皇の頃の出雲臣の遺跡と考えられ、崇神天皇の時に出雲には美鏡が有り、崇神天皇以降に中国への国譲り・天降りが有ったと考えられる。

三種の寶物に八咫鏡・草薙劒がある時点で、多紐文鏡・銅剣が見つかる弥生中期頃の開化・崇神の頃かそれ以降の神話であると解り、中臣氏の初出の遠祖の大鹿嶋が出現するのが前5年の垂仁25年で、神武東征で活躍する天種子が居た時代はこの頃の可能性が高く、中臣氏の祖探湯主が同年に出現し、天種子→宇佐津臣→御食津臣→伊香津臣→梨津臣→神聞勝→久志宇賀主→国摩大鹿嶋の系図があるが、おそらく、神聞勝から国摩大鹿嶋が名で宇佐津臣から 梨津臣は姓の可能性が高く、天種子=神聞勝で探湯主国摩大鹿嶋で中国王・中臣となり、仲足彦のために王位を下されて烏賊津連と配下になったようだ。

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