『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・遂到出雲國五十狹々之少河而興言日大葦原中國本自荒芒至乃磐石草木咸能強暴然吾共理天下者盖有之乎于時神光照海忽(?然 口+ム)踊出波浪未爲素装束持天蕤槍浮歸來者日如吾不在者汝何能得手治此國乎若無我者何敢得造堅建大造之績哉大巳貴命問日汝命是誰耶名字云何對日吾是汝之幸魂竒魂之術魂神也大巳貴命日唯然廼知汝是吾幸魂奇魂矣今欲住何處耶對日住於日本國青垣三諸山則大倭國城上郡座是也是故隨神願奉齋於青垣三諸山即營使就而居此大三輪大神其神之子即(?)茂(鴨)君大三輪君等是也大巳貴神乗天羽車大鷲而覔妻妾?(而)下下行於節渡縣取大陶祗女于活玉依姫爲妻往來之時人非所知而密往來之間女爲妊身之時父母疑恠問日誰人來耶女子荅日神人狀來自屋上零人來坐共覆(?臥)耳尓時父母忽欲察顯續麻作綜以針釣係神人短裳而明旦隨係尋覔越自鎰穴經節渡山入吉野山留三諸山當知大神則見其綜遺只有三營号三輪山謂大三輪神社矣」、【出雲国の五十狭々の小河について、興にまかせて「そもそも葦原の中国は、元々荒れて広いところだった。岩石や草木まで、荒れ放題だった。けれども私達が諭して、天下はこのようになった」と言った。そのとき、不思議な光が海を照らし、忽然と波の上におどり出て、白装束に天の垂れ飾りが有る槍を持ち、やって来て「もし私がいなかったら、あなたは国を治められなかった。もし私がいなければ、国を造り堅め、大きな国を造る功績は無かった」と言った。大己貴は「あなたは誰だ。どういう名だ」と尋ねた。「私はお前の幸運・奇跡・統治の神だ」と答えた。大己貴は「わかりました。あなたは私の幸運・奇跡です。どこに住みたい」と言った。「日本国の青垣の三諸山に住みたい」と答えた。大倭国の城上郡に鎮座する神だ。そのため、願いのまま、青垣の三諸山に祀った。そして宮を造って、住まわせた。これが大三輪の大神だ。その神の子孫は、甘茂君、大三輪君達である。大己貴は、天の羽車大鷲に乗って、妻となる人を探した。節渡(?茅渟)縣に降って行き、大陶祇の娘の活玉依姫を求めて、人に知られずに通って、娘は身ごもった。娘の父母は疑いあやしんで「誰が来ている」と尋ねた。娘は「不思議な様子で来ます。屋根から人知れずやって来て、床をいっしょにするだけです」と答えた。父母は、何者かを明らかにしようと、麻をつむいで糸をつくり、針で不思議な人の衣につけた。そうして翌朝、糸を手繰って行くと、鍵穴をこえて、節渡山を経て吉野山に入り、三諸山に留った。それで、三諸山の大神とわかった。その糸の残りを見ると、ただ三つの徴だけあった。そこで、三諸山を三輪山と名づけて、大三輪神社という。】と訳した。
『舊事本記』の大己貴は、この項のように、大三輪大神と同世代で、その子達が鴨君・大三輪君と記述し、大鴨積が「磯城瑞籬朝御世賜賀茂君姓」、大友主命が「此命同朝御世賜大神君姓」と賜姓され、大三輪大神は大御氣持と言うことになり、妻が出雲鞍山祇姫、それが素戔嗚の娘で大三輪大神の嫡后の須勢理姫、すると、須勢理姫の父の素戔嗚は出雲の王だったことになり、大国主が崇神天皇の時代の人物となる。
さらに、この説話は、『日本書紀』では崇神天皇の時代に記述され、倭迹迹姫の箸墓の説話に繋り、三輪君の初出が仲哀天皇の大友主からで、大友主は垂仁天皇の時代には三輪君の祖と記述され、仲足彦も実際は垂仁天皇時代に仲国王となったことを示し、景行天皇の時代までは三輪山ではなく御諸山と呼ばれ、『舊事本記』の大友主が崇神朝に賜姓と矛盾する。
さらに、大己貴の子の事代主が大三輪大神である大御氣持、その先祖の天日方奇日方の妹の鞴五十鈴姫は神武天皇の皇后で、矛盾しているが、大己貴も事代主も襲名した人物の一人を抽出しているだけで、神話時代から其々の複数人存在する神武天皇に関係者として記述されている。
ここの神話は崇神紀に葛城氏の小国王の西道侵攻があり、その時、天日方奇日方の子孫と一緒に出雲や安芸などの仲国に侵攻して、出雲を領有した大友主が垂仁天皇の時代に朝廷の臣下となって三輪山を祀ったことを示しているようで、崇神朝の物部氏の武諸隅が出雲大神から神宝を奪って、出雲国が朝廷の支配下になったので、『舊事本紀』の神話となったのだろう。