2020年2月24日月曜日

最終兵器の目 雄略天皇13

 『日本書紀』慶長版は
十三年春三月狹穗彥玄孫齒田根命竊姧采女山邊小嶋子天皇聞以齒田根命收付於物部目大連而使責讓齒田根命以馬八匹大刀八口秡除罪過既而歌曰耶麼能謎能故思麼古喩衞爾比登涅羅賦宇麼能耶都擬播鳴思稽矩謀那欺目大連聞而奏之天皇使齒田根命資財露置於餌香市邊橘本之土遂以餌香長野邑賜物部目大連秋八月播磨國御井隈人文石小麻呂有力強心肆行暴虐路中抄劫不使通行又斷商客艖䑧悉以奪取兼違國法不輸租賦於是天皇遣春日小野臣大樹領敢死士一百並持火炬圍宅而焼時自火炙中白狗暴出逐大樹臣其大如馬大樹臣神色不變
拔刀斬之即化爲文石小麻呂秋九月木工猪那部真根以石爲質揮斧斲材終日斲之不誤傷刃天皇遊詣其所而恠問曰恒不?()中石耶真根荅曰竟不?()矣乃喚集采女使脱衣裙而著犢鼻露所相撲於是真根暫停仰視而斲不覺手?()傷刃天皇因嘖讓曰何處奴不畏朕用不貞心妄輙荅仍付物部使刑於野爰有同伴巧者歎惜真根而作歌曰婀拕羅斯枳偉儺謎能陀倶弥柯該志湏弥儺皤旨我那稽摩?()例柯柯該武預婀?()羅湏弥儺皤天皇聞是歌反生悔惜喟然頽歎曰幾失人哉乃以赦使乗於甲斐黒駒馳詣刑所止而赦之用解徽纒復作歌曰農播?()磨能柯彼能矩盧古磨矩羅枳制播伊能致志儺磨志柯彼能倶盧古磨
【十三年の春三月に、狹穗彦の玄孫の歯田根の命が、隠れて女官の山邊の小嶋子を凌辱した。
天皇が、それを聞いて、歯田根の命を、物部の目の大連に任せて、責めて問い詰めた。歯田根の命は、馬を八匹と大刀を八口で、罪過を許し免れた。それで歌った()。目の大連が、それを聞いて奏上した。天皇は、歯田根の命を、持っている財宝を隠さず見させ、餌香の市邊の橘の昔からの領地に置かせた。それで餌香の長野の邑を、物部の目の大連に与えた。秋八月に、播磨の国の御井隈の人で文石の小磨呂が、力持ちで強情だ。勝手気ままに乱暴なむごい仕打ちをして人を苦しめる。道の途中でかすめて奪い取り、通行をさせない。また商人の筏や小舟を遮って、残らず奪い取る。あわせて国の法を違えて、租税を治め入れない。そこで、天皇は、春日の小野の臣の大樹を派遣して、決死隊百人を率いて、松明を並んで持ち、邸宅を囲んで焼いた。その時、火炎の中から、白い犬が、暴れ出て、大樹の臣を追いかけた。その大きさは、馬の様だ。大樹の臣は、顔色を変えないで、刀を拔いて斬った。それは文石の小麻呂の化身だった。秋九月に、大工の韋那部の眞根が、石でできた、斧を振り回して材木を削った。一日中削っても、誤って刃先を傷つけなかった。天皇は、そこにやって来て、奇妙に思って「いつも石で失敗なく削れるのか」と問いかけた。眞根は、「最後まで失敗しない」と答えた。それで女官を呼び集めて、肌着を脱いで、褌姿で、目の前で相撲を取らせた。そこで、眞根は、すこしの間作業を止めて、仰ぎ視てから削った。思わず手技を誤って刃を傷つけた。天皇は、それで「何処のどいつだ。私を畏れないで、投げやりな心で、でたらめで軽率に答えた」と叱責した。それで物部に預けて、野原で処罰した。そこに連れの技術者がいて、眞根を歎き惜んで、作歌した()。天皇は、この歌を聞いて、後悔して考え直して、ため息をついて座り込み、「どれだけの人を失ったか」と言った。それで赦免の使者が、甲斐の黒馬に乗って、駆けつけて刑所に着いて、処刑を止めて赦免した。それで徴の纏いを解いた。また作歌した()。】とある。
 狹穗彦は垂仁天皇が殺害した正統な尾張朝廷の皇子で、その4世代後の人物が400年以上隔てて出現しているが、何度も書いている通り、狹穗彦の宮が4世代移った、すなわち、宮は1世代100年程度長男襲名があり、5世代程度の分家襲名が行われていることを示している。
雄略紀に現れた物部目大連は『日本書紀』には記述されないが『舊事本紀』に欽明天皇に「物部目連公為大臣」と大臣になっていて、この、『日本書紀』で消された大臣が欽明・敏達・用明・崇峻天皇の宮の主だ。
この時に得た狹穗彦の領地の餌香の長野の邑は「物部守屋大連資人捕鳥部萬將一百人守難波宅」と守屋の配下の萬が河内で死んだ、その地域である。
すなわち、目が尾張朝廷の地を得るということは、その姫も手に入れ、2つの朝廷の血筋を得ることになり、目の宮の最後の皇太子が守屋だったのであり、その宮の始まりが雄略天皇の時代だった。
『日本書紀』では目大連は雄略天皇にのみ出現するが、『舊事本紀』では「此連公磐余甕栗宮御宇天皇御世為連」、「此連公継體天皇御世為大連奉齋神宮」、「此連公磯城嶋宮御宇天皇御世爲大連奉齋神宮」、と清寧・継体・欽明の大連を襲名し、『日本書紀』で消された目大連が皇祖の祖廟を奉齋した天皇として記述されていたと思われる。

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