2019年9月11日水曜日

最終兵器の目 景行天皇4

 『日本書紀』慶長版は
冬十月到碩田國其地形廣大亦麗因名碩田也到速見邑有女人曰速津媛爲一處之長其聞天皇車駕而自奉迎之諮言茲山有大石窟曰?()石窟有二土蜘蛛住其石窟一曰青二曰白又於直
入縣祢疑野有三土蜘蛛一曰打猨二曰八田三曰國摩侶是五人並其爲人強力亦衆類多之皆曰不從皇命若強喚者興兵距焉天皇惡之不得進行即留于來田見邑權興宮室居之仍與群臣議之曰今多動兵衆以討土蜘蛛若其畏我兵勢將隱山野必爲後愁則採海石榴樹作椎爲兵因簡猛卒授兵椎以穿山排草襲石室土蜘蛛而破于稻葉川上悉殺其黨血流至踝故時人其作海石榴椎之處海石榴市亦血流之處曰血田也復將討打猨侄度祢疑山時賊虜之矢横自山射之流於官軍前如雨天皇更返城原而卜於水上便勒兵先擊八田於祢疑野而破爰打猨謂不可勝而請服然不聽
矣皆自投洞谷而死之天皇初將討賊次于柏峽大野其野有石長六尺廣三尺厚一尺五寸天皇祈之曰朕得滅土蜘蛛者將蹶茲石如柏葉而舉焉因蹶之則如柏上於大虛故号其石曰蹈石也是時禱神則志我神直入物部神直入中臣神三神矣
【冬十月に、碩田国に着いた。その地形は広く大きくうるわしい。それで碩田と名づけた。速見邑についた。女性がいた。速津媛という。ひとかどの王だ。それで天皇が車駕に乗っていると聞いて、自ら迎えに出て「この山に大きな石窟が有って鼠の石窟という。二人の土蜘蛛がいてその石窟に住んでいる。一人目を青と二人目を白という。また直入縣の祢疑野に、三人の土蜘蛛がいる。一人目を打猨という。二人目を八田という。三人目を国摩侶という。このの五人は、ともにそのひととなりは力強く、また家来も多い。皆が「『天皇の命令に従わない』と言っている。もし強引に招集すれば、挙兵して拒みます」と言った。天皇は嫌がって、進軍できなかった。それで来田見邑に留まり、作戦を練る基地を建てた。それで群臣が「今、多くの兵を動して、土蜘蛛を討つとしよう。それでもし我が兵の勢いを畏れて、山野に隱れれば、きっと後の愁となる」と話し合った。それでつばきの樹を採って、槌にして武器とした。それで勇猛な兵をより分けて、武器の槌を授けて、山を貫き草を払って、石室の土蜘蛛を襲って、稲葉の川上で破って、ことごとくその仲間を殺した。血がくるぶしまで流れた。それで、その時、人は、そのつばきの槌を作った所を、海石榴市といった。また血の流れた所を血田といった。また、打猨を討とうとして、愚かに祢疑山を渡って賊やその取り巻きの矢を左右の山から射た矢で官軍の目前では雨が降るようだった。天皇は、城原に返って、水上で占った。それで隊列を組んで、まず八田を祢疑野で撃ち破った。それで打猨は勝てないと思って、「降伏する」と嘆願した。しかし許さなかった。皆、崖に身を投げて死んだ。天皇は、初め、賊を討とうとして、柏峽の大野で乗り継いだ。その野に石が有った。長さ六尺、巾三尺、厚さ一尺五寸だ。天皇は「私が、土蜘蛛を滅すことが出来るなら、この石を跳ね上げて転がす時に、柏の葉のように上がれ」と祈った。それで、跳ね上げたら。柏のように上った。それで、その石を踏石と名付けた。この時に、祈った神は、志我神・直入物部神・直入中臣神、三柱の神だ。】とある。
官軍は京都郡から大分市碩田に進軍し、そこは速津媛が支配する土地で、この速津は「速素戔嗚」・「速水門」で「三身国」の『古事記』に「筑紫国謂白日別豊國謂豊日別肥國謂速日」と九州の大半は速国で『舊事本紀』「土佐國謂速依別」と土佐も速国で拘奴国の強大さは女王国の東の筑紫宗像から豊国は豊安芸までを含み、速国は土佐から肥までを領有し、大国建国も既にふれたように「三身の綱」と武器を援助し、素戔嗚は宗像の王者で「建」や「速」を名前の前にかざした。
そして、そこには、土蜘蛛がいて、土蜘蛛は「土蜘蛛其爲人也身短而手足長與侏儒相類」と侏儒で、『山海經』大荒東經に「有小人國名靖人有神人面獸身名曰犁之尸」と小人国が有って、有名な『三国志』倭人伝の「有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里」とあり、香椎宮から大分市役所まで高速を使って160Kmで1里50mで3.2千里なので一般道を走れば4千里位になる。
そして、直入は阿蘇山近辺の竹田市あたりで、大きな石を軽々と持ち上げるのだから当然軽石で、阿蘇山近辺なら軽石が有っても不思議ではない。

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