2019年4月1日月曜日

最終兵器の目 素戔嗚王朝1

 『日本書紀』慶長版は
是後素戔嗚尊之爲行也甚無狀何則天照大神以天狹田長田爲御田時素戔嗚尊春則重播種子且毀其畔秋則放天斑駒使伏田中復見天照大神當新嘗時則陰放屎(+)於新宮又見天照大神方織神衣居齋服殿則剥天斑駒穿殿甍而投納是時天照大神驚動以梭傷身由此發慍乃入于天石窟閉磐戸而幽居焉
【この後に、素戔嗚尊の行いは甚だ行為が無礼で、なぜならば、天照大神が天狹田・長田を御田としたが、或時に素戔嗚尊が春に種を播いてある上に重ねて種子を播いたり、また其の畔を毀し、秋は天の斑模様の駒を田に放って田を荒らし、また、天照大神の新嘗の祭礼を見て、ひそかに新宮に糞尿を放った。又、天照大神が神衣を織って齋服殿に居るのを見て、則ち天の斑模様の駒の皮を剥いで、殿の甍に穴を穿けて投げいれた。この時に、天照大神、は驚いて、杼で身を傷つけた。これに怒って、天石窟に入って磐戸を閉じて籠ってしまって、新しい王素戔嗚の悪行・非道ぶりを並べ立てて、素戔嗚では国が治まらないとし、女王が治めるべきだ】としている。
『日本書紀』慶長版は
故六合之内常闇而不知晝夜之相代于時八十萬神會合於天安河邊計其可禱之方故思兼神深謀遠慮遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴亦以手力雄神立磐戸之側而中臣連遠祖天兒屋命忌部遠祖太玉命掘天香山之五百箇真坂樹而上枝懸八坂瓊之五百箇御統中枝懸八咫鏡下枝懸青和幣白和幣相與致其祈禱焉
【そのため、六合の内は常に闇く昼夜が変わったことが解らず、その時に八十萬神、天安河邊につどって、其の祈りのすべを諮って、思兼神が深く考えをめぐらせて、先のことを見通して、手抜かりのない計画を立て、遂に常世の長鳴鳥を一か所に集め、互いに長鳴きさせた。また手力雄神を使って、磐戸のかたわらに立って、中臣連の遠祖の天兒屋命・忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇の眞坂樹を掘って、上の枝に八坂瓊の五百箇御統を懸け、間の枝に八咫鏡を懸け、下の枝に青和幣・白和幣を懸け、一緒に其の祈りを行った。】とある。
「六合」は『山海經』海外南經の「地之所載六合之閒四海之内照之以日月經之以星辰紀之以四時要之以太歳神靈所生其物異形或夭或壽唯聖人能通其道」と日本海南部で日本海・黄海・太平洋・あと一つは瀬戸内海または玄界灘?を言う可能性が高く、神靈が生まれ日神と月神が治め、四季や星の運行を知っている地域、『山海經』大荒南經に「東南海之外甘水之間有羲和之國」の羲和が尚書 堯典』に「乃命羲和欽若昊天歷象日月星辰敬授人時」と暦を創った地域、その六というのは、『古事記』前川茂右衛門寛永版の「隠伎之三子嶋亦名天之忍許呂別・・伊岐嶋亦名謂天比登都柱・・津嶋亦名謂天之狭手依比賣・・大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別・・女嶋亦名謂天一根・・知訶嶋亦名謂天之忍男・・兩兒嶋亦名謂天兩屋」の中の大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別(豊国なので)を抜いた6島がその領域で、そこを天照大神は天国だと言っている。
そして、思兼・手力雄は天も大も付加されない、すなわち、姓が無い王と考えられ、元々大国の手力雄が王で太玉が神官の大日孁貴に対する説話を思兼が王で天兒屋が神官の天照大神に対する説話に付け加えたと思われる。
「八十萬」・「八坂瓊」・「八咫鏡」は「八国」の説話で「八国」の萬神10人が「八国」の曲がった瓊と「八国」の八寸(咫は八寸24cm)の鏡で決して2mの鏡では有り得ない。
すなわち、「八国」の神話に大国の人物、さらに、「天国」の人物が重層され、素戔嗚の悪行の話にしているが、実際は畔のある田を造り、斑の駒を導入し、春に種を播き秋に駒で耕し、肥料を播く当然の行為で、新嘗の時に駒に作物を載せて奉納し甍を造った名君だったと思われる。

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