2019年4月3日水曜日

最終兵器の目 素戔嗚王朝2

 『日本書紀』慶長版は
又猨女君遠祖天鈿女命則手持茅纒之矟立於天石窟戸之前巧作俳優亦以天香山之真坂樹爲鬘以蘿爲手繦而火處燒覆槽置顯神明之憑談是時天照大神聞之而曰吾比閉居石窟謂當豊葦原中國必爲長夜云何天鈿女命㖸樂如此者乎乃以御手細開磐戸窺之時手力雄神則奉承天照大神之手引而奉出於是中臣神忌部神則界以端出之繩乃請曰勿復還幸然後諸神歸罪過於素戔嗚尊而科之以千座置戸遂促徵矣至使拔髮以贖其罪亦曰拔其手足之爪贖之已而竟逐降焉
【又、女君の遠祖、天鈿女命が、手に茅纏の矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧に演じた。また天の香山の眞坂樹を鬘とし、蘿をたすきとし、火床でを火を焚き、覆、飼い馬槽を置き、神がかりする。この時に、天照大神は、「私がこの石窟を閉ざして居ると、おもうに豊葦原中は、きっと長い夜となっている。どうして天鈿女命はこのようにたわむれ樂しむのか」と聞いて手で細く磐戸を開けて窺った。その時に手力雄神が天照大神の手をつかんで、引きて出した。それで、中臣神・忌部神が端出之繩をもって境界とした。「復た還りおいでならないでください」とお願いし、諸神が、罪過を素戔嗚尊に求めて、罪科として千座置戸で、遂に攻め懲らしめた。 髪を拔いて其の罪を贖わせる。または其の手足の爪を拔いて之を贖うという。そして、ついに放逐して追い出した。】とある。
ここでは、話がもっと進んで、説話に豊国の話を付け加えて、「豊国の中の葦原にある中(なか)国」で中臣氏と忌部氏が天照大神を仲介して、豊国も今では天照大神を祀っているとしている。
中臣も「なか国の使主」の意味で豊葦原中国の王の意味で、そこに神を祀る忌部がいて、その部の主が忌部氏、それらの主を支配する者が使主(おみ)で、中臣氏も豊国王の豊国主に支配され、豊国の宿殿を祀る禰宜が中臣氏だとこの神話は述べているのである。
『日本書紀』は「六合」の地が舞台だった岩戸を途中で「豊国」の中の「中国」と書き換えたが、『古事記』前川茂右衛門寛永版は当然最初から「高天原皆暗葦原中國悉闇因此而常夜往・・・次手力男神者坐佐那那縣也故其天兒屋命・・・」と、葦原中国で豊は豊国の話だから省略され、天兒屋も本文ではなく注釈に中臣氏を記述して『古事記』記述王朝との親密さを示している。
また、『日本書紀』には後述されて岩戸説話の思兼の父高皇産霊が、『古事記』前川茂右衛門寛永版に「高御産巣日神之子思念金神令思」、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版に「高皇産靈尊兒思兼神有」にも思兼の親として記述されるが、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「別高皇産霊尊兒天思兼命次天太玉命次天忍日命次天神立命次神皇産霊尊 次天御食持命次天道根命次天神玉命次生魂命次津速魂尊」と、9神の親として出現する。
これまでの神の親子関係は多くが逆であったことを考えると、高皇産霊も逆の可能性が高く、「津速魂」神が古く、『出雲風土記』の国引きの「八束水臣津野命」との類似、更に魂神は最古の神名と考えられる。
とくに『舊事本紀』は思兼に天が付加され、『舊事本紀』の岩戸伝説を見る目が天国以外で、『古事記』・『日本書紀』の天国内での目と、異なっていて、天降り前の説話、『舊事本紀』は天降り後の伝説としての説話となっている。
『舊事本紀』には天降り時の兵士の「表春命」が「八意思兼兒」と記述され、高皇産霊と同じ世代以前の立位置で「八意思兼」が岩戸伝説の思兼神の可能性がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿