2019年4月22日月曜日

最終兵器の目 天降り2

 『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
真名井 齬然咀嚼而吹棄氣吹狹霧之中化生六男之神 乃含左御鬘玉左手掌中化生之神号日正哉吾勝勝速天穂別尊覆含左御鬘玉右手掌中化生之神号日天穂日命覆含左御髻玉著於左臂化生之神号日天津彦根命覆含右御髻玉著於右臂化生之神号日活津彦命覆含左御手腋玉自左足中化生之神号日熯之速日命覆含右御手腋玉自右足中化生之神号日熊野豫樟日命
と、「天之菩卑能命」・「天津日子根命」・「活津日子根命」・「熊野久須毘命」にも似たような天降り説話が実際は有ったと思われ、本来の「狹霧」から生まれた人物は「月國狭霧尊」で、「月読」→「狭霧」→「熯之速日」→「饒速日」が本来の説話だったのを挿げ替えたのであり、理由は『日本書紀』の作者の葛城氏の建国が筑紫の京都郡から日向国に侵略して、そこから畿内へ侵略したからである。
従って、『舊事本紀』 前川茂右衛門 寛永版
高皇産靈尊勑日若有葦原中國之敵拒神久而待戰者能爲方便欺防拒而令治平人三十二人並爲防衛天降供奉矣・・・饒速日尊襄天神御祖詔乗天磐舩而天降坐於河内國河上哮峯則遷坐大倭國鳥見白山所謂乗天磐舩而翔行於大虚空巡睨是郷而天降坐矣即謂虚空見日本國是歟饒速日尊使娶長髓彦妹御炊屋姬爲妃令妊胎矣未及産時饒速日尊既神損去坐而不覆上天之時矣
と中国遠征の陣容を述べた後、「饒速日」の説話を付け加えて船で海流に乗って天から降り、大倭国の鳥見の白山に天降って長髓彦の妹の御炊屋姫に婿入りして子が生まれ,饒速日は薨じたが、天降った時には既にそこは「大倭國」と呼ばれていたことに注目すべきだろう。
すなわち、神武東征以前から畿内は大倭国とよばれて、長髓彦が統治していたのであり、葛城氏は「大倭日子すき友命」その配下にいたことが解る。
そして、『日本書紀』で大巳貴に寝返ったとする天穂日は『舊事本紀』 前川茂右衛門 寛永版で
覆當主汝祭祀者天穂日命也大巳貴神報日天神詔敎慇懃如此不敢従命也吾(?)治顕露事者皇孫當治吾退治幽神事也乃薦岐神於二神日是當代我而奉従矣吾將自此避去即(?)被瑞之八坂瓊而長隠者矣經津主神以岐神爲御導周流削乎有逆命者而加斬形刑矣歸順者因加裒美矣是時歸順之首渠者大物主神及事代主神
と、大巳貴を祀って中国を統治して、元々の「岐神」の神話を付け加えたが、「岐神」は「国神」のことで、「八岐」・「壱岐」・「隠岐」と同じで、これらの国々を治めていた神様のこと、この「岐神」が国を拡大した相手「大物主」と「事代主」だったということで、この2神は素戔嗚の時代より以前、「足名椎」より以前の説話と思われ、その土地を大巳貴が後から支配していたのである。
同様に、「活津日子根」の天降り説話は、『舊事本紀』 前川茂右衛門 寛永版に
大巳貴神乗天羽車大鷲而覔妻妾?()下下行於節渡縣取大陶祗女于活玉依姫爲妻往來之時人非所知而密往來之間女爲妊身之時父母疑恠問日誰人來耶女子荅日神人狀來自屋上零人來坐共覆(?)耳尓時父母忽欲察顯續麻作綜以針釣係神人短裳而明旦隨係尋覔越自鎰穴經節渡山入吉野山留三諸山當知大神則見其綜遺只有三營号三輪山謂大三輪神社矣
と、「活玉依姫」が「三輪神」の子を生むが、この説話は「三輪神」と「大巳貴」を同一人物にするための説話で、『日本書紀』にも後代に「倭迹迹日百襲姫命」と「大物主」の説話に変質させている有名な説話で、本来は「活津日子根」を「三輪神」と同一人物とする説話が有ったことを否定できず、「曰事代主神共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛所生兒号曰媛蹈韛五十鈴媛命」と神武天皇妃はこれらの孫とされる。
「倭迹迹日百襲姫命」は倭国造の姫で、始祖は「珍彦爲倭國造」と珍彦で、「娶木国造之祖宇豆比古之妹山下影日売生子建内宿祢」と珍彦は木国造の祖でもあり、葛城氏の天降り説話の可能性が高い。

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