『古事記』前川茂右衛門 寛永版は続けて
「因此泣患者先行八十神之命以誨告浴海塩當風伏故爲如教者我身悉傷於是大穴牟遅神教告其菟今急往此水門以水洗汝身即取其水門之捕(蒲)黄敷散而輾転其上者汝身如本膚必差故爲如教其身如本也此稲羽之素菟者也於今者謂菟神也故其菟白大穴牟遅神此八十神者必不得八上比賣雖負佩(帒)汝命獲之於是八上比賣八十神言吾者不聞汝等之言將嫁大穴牟遅神」
【このため患って泣いていたら、先やってきた八十神が、『海鹽で浸かって、風に当って伏ろ』とさとして命じられたので、教えどうりにしたら、私の体はこのように傷んでしまいました」と言った。ここで大穴牟遲、菟に教へて、「今すぐに此の水門に往って、水でお前の体を洗って、其の水門の蒲を敷き散らして、其の上を転がれば、お前の体は必ずもとの膚のようになる」と言った。それで、教のようにしたら、其の身はもとのようになった。此れが稻羽の素菟である。今は菟神と謂う。それで、其の菟が大穴牟遲に「此の八十神は、絶対八上比賣を得ることができない。荷物を背負わされているけれど、あなた様が得るでしょう」と言った。そして八上比賣は八十神に「私はお前たちの言うことは聞かない。大穴牟遲に嫁ぐ」と答えた。】とある。
すなわち、稲羽というのは素がある場所で、八上比賣が治める「八国」の領地と解り、大穴牟遲は八上比賣に婿入りしてその場所が「於母
の大津の宮」で、『出雲風土記』の国引きの「八束水臣津野命」が大穴牟遲で素の地で隠岐の4島を三身の綱で引き寄せて「八」国の津神の臣下の(
於母の)津野という人物、大国の建国の始祖で、素の地は日国(三身国)の佐之男が協力者、菟神は「宇迦之御魂」の先祖であった可能性がある。
さらに、『古事記』前川茂右衛門 寛永版は
「故尓八十神怒欲殺大穴牟遅神共議而至伯伎國之手間山本云赤猪在此山故和禮共追下者汝待取若不待取者必將殺汝云而以火焼似猪大石而轉落尓追下取時即於其石所焼著而死尓其御祖命哭患而参上于天請神産巣日之命時乃遣𧏛臭(貝)比賣與蛤貝比賣令作活尓𧏛貝比賣岐佐宜集而蛤臭(貝)比賣待承而塗母乳汁者成麗壮夫而出遊行於是八十神見且欺率入山而切伏大樹茹矢打立其木令入其中即打離其水自矢而拷殺也尓亦其御祖哭乍求者得見即析其木而取出活告其子言汝者有此間者遂爲八十神所滅乃速(違)遣於木國之大屋毘古神之御所尓」
【それで八十神が怒って、大穴牟遲を殺そうと一緒にはかって、伯伎國の手間の山本について「赤い猪が此の山にいる。それで、私達が一緒に追いおろすから、お前は待ち伏せして生け捕れ。もし捕えなければ、絶対にお前を殺す」と言って、火で猪に似た大石を焼いて、転がして落した。追い下ろされたと思って生け捕ろうとしたので其の石で大火傷で死んだようになった。それを見て祖は、泣き憂い天に參上して、神産巣日お願いすると、𧏛貝比賣と蛤貝比賣とを遣はして、手当をし、蛤貝比賣が回復を待って、母乳を塗ったら、麗しく元気になって、出歩くまでになった。これを八十神が見て、また騙して山に引き入れて、大樹を切り倒して、茹矢を其の木に打ち立てて、其の中に入らせ、其の氷目矢を射ち離って、瀕死の状態にした。また、其の祖が、泣きついて救いを求めてまみえて、其の木を折って取り出して回復させ、「お前はこのままでは八十神の爲に滅ぼされるだろう」と言って、木国の大屋毘古の所に派遣した。】とある。
「八国」の伯耆国や根国の加賀郷で大穴牟遲は戦い、『出雲風土記』の加賀郷には「御祖神魂命御子支佐加比賣命」・「神魂命御子宇武賀比賣命」と記述され「神魂」が支配する地域で、「千酌驛・・・伊差奈枳命御子都久豆美命此處生」と伊差奈枳がいたところでもあり、「素戔嗚」の目的地である。
木国は紀州の木国ではなく、『古事記』神話の対象地域は日本海西部の越前から筑紫までで、本州側は八国、筑紫は三身国、日本海の島が天国で、天国の隠岐で大国が生まれ、大国が領域を出雲から機内に拡げて大人国、八国は東に押されて君子国と中国で呼ばれ、倭人はアカホヤ噴火で天草・奄美群島など九州西部の島々に逃げ、遼東半島の蓋州(国)の南に位置し、この見方が理に適う観点だと考えられる。
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