2019年4月8日月曜日

最終兵器の目 外伝大国王朝1

 ここで、『日本書紀』を離れて『古事記』前川茂右衛門寛永版は
老夫荅言僕者國神大山上津見神之子焉僕名謂足上名椎妻名謂手上名椎女名謂櫛名田比賣・・・足名椎神告言汝者任我宮之首且負名号稲田宮主須智賀之八耳神故其櫛名田比賣・・・生神名謂八嶋士奴美神又娶大山津見神之女名神大市比賣生子大年神次宇迦之御魂神兄八嶋士奴美神娶大山津見神之女名木花知流比賣生子布波能母遅久奴須奴神此神娶淤迦美神之女名日河比賣生子深淵之水夜禮花神此神娶天之都度閇泥上神生子淤美豆奴神此神娶布怒豆怒神之女名布帝耳上神生子天之冬衣神此神娶刺國大上神之女名刺國若比賣生子大國主神
と大国の出雲支配の神を記述し、その神は大山上津見神の子孫で「稲田宮主須智賀之八耳」とやはり「八」国の長官だと記述し、娘の「櫛名田比賣」は「八嶋士奴美」を生んで「八国」の中の神、また、「宇迦之御魂」は神武東侵の戦いのモデル兄弟猾の宇迦の山の神である。
宇迦の山の戦いは「大巳貴」の王朝の始まりで、「大巳貴」が大国すなわち隠岐の大嶋から侵略した説話で『日本書紀』の「素戔嗚」の出雲侵略説話は「大巳貴」の説話を流用した説話と解る。
そして、『古事記』前川茂右衛門寛永版に
八十神各有欲婚稲羽之八上比賣之心共行稲羽時於大穴牟遅神負佩(帒)爲從者率往於是到氣多之前時裸菟伏也尓八十神謂其菟云汝將爲者浴此海塩當風吹而伏高山尾上故其菟從八十神之教而伏尓其塩随乾其身皮悉風見吹析故痛苦泣伏者最後之來大穴牟遅神見其菟言何由汝泣伏菟荅言條(僕)在淤岐嶋雖欲度此地無度因故欺海和迩(此二字以音下効此)言吾與汝競欲計族之多少故汝者随其族在悉率來自此嶋至于氣多前皆列伏度尓吾蹈其上走乍讀度於是知與吾挨熟多如此言者見欺而列伏之時吾蹈其上讀度來今將下地時吾云汝者我見欺言竟即伏最端和迩神(捕)我悉剥我衣服
【八十神が其々稻羽の八上比賣と結婚したくて、共に稻羽に行った時、大穴牟遲神にふくろを負せ、從者として率て往った。氣多の前に到着した時、裸の菟が伏せていた。八十神、其の菟に「お前がすべきなのは、この海鹽で浴み、風が吹き当たるように、高山の尾の上でに伏せなさい」と言った。そのため、菟は八十神の教に從って伏せた。其の鹽が乾く隨にしておくと、其の身の皮が風に吹かれて皮膚が割れてしまった。それで、痛み苦んで泣き伏していたら、最後)にやってきた大穴牟遲が其の菟を見て、「どうしてお前は泣き伏せている」と言ったので、菟は「僕は淤岐の島にいて、此の地に渡ろうとしたが渡船が無かったので、海の和迩を欺して『私とお前と競べて、氏族の多少きをかぞえよう』と言った。従って、お前は氏族の在るままに、率て、此の島から氣多まで、皆伏せて列を作れ。私は其の上を踏んで走り数えて渡ろう。是で私の氏族とどちらが多いか調べよう』といった。このように言って、欺いて列を作って伏せたので、私は其の上を踏んで、数えて渡り至って、今、地に下り様とした時、私が、『お前は私に欺かれた。』と言ひ終わると、最後に伏せりた和迩が私を捕えて私の衣服を剥いだ。】と記述している。
ここのキーワードの「八十神」は「各有」と複数の神なので八国の十柱の神と読むのが理に適い、主人公は大国主ではなく、まだ王でないので「大穴牟遅」で、結婚対象が「八上比賣」でやはり「八国」の姫で、莵は素と呼ばれる土地の人物で、これは、「須佐之男(素戔嗚)」の本拠でもありそうである。
すなわち、「大穴牟遅」は後に大(於母)に住むことになる「八国」に従う人物で、『伊未自由来記』には「於佐之神」が「小之凝呂(於母)の島の東の大津の宮」に住んでいたが出雲から沖津久斯山祇が侵略してきたとのべており、「於佐之神」は「素」から「於」に遷った「素戔嗚」とつながり、出雲は「八百万神」すなわち、「八国」の百人の万神が集まる国の意味で、そのうちの十神に従って「大穴牟遅」が隠岐の大嶋の東の大津に住んで、『出雲風土記』の国引きをした「八束水臣津野命」の地を領有したのだろうか

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