『日本書紀』 慶長版は
「天照大神之子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊娶髙皇産靈尊之女𣑥幡千千姫生天津彥彥火瓊瓊杵尊故皇祖髙皇産靈尊特鍾憐愛以崇美焉遂欲立皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊以爲葦原中國之主然彼地多有螢火光神及蠅聲邪神復有草木咸能言語故髙皇産靈尊召集八十諸神而問之曰吾欲令撥平葦原中國之邪鬼當遣誰者宜也惟爾諸神勿隱所知僉曰天穗日命是神之傑也可不試歟於是俯順衆言即以天穗日命往平之然此神侫媚於大己貴神比及三年尚不報聞故仍遣其子大背飯三熊之大人亦名武三熊之大人此亦還順其父遂不報聞」
【天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊は高皇産靈尊の娘の𣑥幡千千姫を娶って天津彦彦火瓊瓊杵尊を生んだ。従って、皇祖の高皇産靈尊は特にあわれみいつくしみをあつめて、尊んで育てた。遂に皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を王に立てて、葦原の中国の主にしようと思った。しかし、彼の地に螢火の光るようにゆらゆらと薄暗い神、及び五月蠅い邪神が多くいる。また領民もなかなか言うことを聞かない。それで、高皇産靈は、八十諸神を招集して、「私は葦原の中国の邪鬼を払い平らげたいと思う。誰を派遣すればよいのだろうか。諸神が知っている者を隠すな」と言い、みなは「天穗日命は、神の中で抜きんでています。試すべきです」というので、ここに俯して皆の言葉に従って、天穗日命に任せて中国に行って平定させようとした。しかし此の神は大己貴神におもねり媚びて三年に経っても尚、報告してこない。それで、その子の大背飯三熊之大人、またの名武三熊之大人を派遣した。しかしこれもまた裏切ってその父に従って報告しなかった。】とある。
主語は髙皇産靈、高天原の説話で娘が「𣑥幡千千姫」であるが、隠岐の島の西ノ島に焼火山という山があり、「たくひ」とよみ、大日孁貴尊を祀る焼火神社があり、手力雄を左、万幡姫を右に祀り、岩戸説話の原型で話の流れとしては、この場所が高天原である可能性が高い。
そして、向かうのは葦原の中国で、現代でも山陰・山陽を日本の中心でもないのに中国地方と呼んでいて、『山海經』の「海内經」に「帝俊生三身・・・是始為國禹鯀是始布土均定九州」と「三身国」を九州としたように中国でも古代の名残なのだろう。
そして、「天津彦彦火瓊瓊杵」すなわち、「速日天忍穗耳」が速日国に支配される海人の長官忍穗の子で海人の港の長官の火国の瓊瓊杵で、
瓊瓊杵が天降りすべき人物となったのだが、これは、支配する国が「耳」を官位にもつ国から「彦」の官位をもつ国に代わった、支配者が政権交代したことを示している。
すなわち、『三国志』の「投馬國水行二十曰官曰彌彌」から「至對馬國其大官曰卑狗・・・一大國官亦曰卑狗」、南九州の「速日(建日)」の「耳」から壱岐・対馬と同じ「天の火」の「彦」で、「伊都國官曰爾支・・・丗有王・・・郡使往來常所駐」と伊都国王が「主」で彦を支配して、その主を新たに女王が支配し、その王を『太平御覽』が「後漢書曰王制云東方曰夷・・・至有君子不死之國焉・・・又曰會稽海外有東鯷人」と東鯷人と異なる東夷の王を君子すなわち天子と呼んで、もちろん東鯷人も君子が治め『山海經』の「君子国」が当てはまり、「葦原中国」は『山海經』の「大人国」である。
すなわち、これが「速素戔嗚」の支配から「大国主」大己貴の支配に遷って、宗像が「白日国」筑紫から大国主の支配下になった嫁取り説話の結果なのである。
天降り説話は「瓊瓊杵」が天降っているが、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
「妃誕生天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊之時正哉吾勝勝速日天押穂耳尊奏日僕欲將降弉束之間所生之兒以此可降矣詔而許之天神御祖詔授天璽瑞寶十種謂贏都鏡一邊都鏡一八握劔一生玉・・・」
と、「瓊瓊杵」ではなく、「饒速日」が天皇の璽を持って天降っているが、有名な「押穂耳」の子に「饒速日」を挿入しているだけだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿