前項は倭国に関して述べてきたが、邪馬台国論争は新井白石(1725年死亡)が「古史通或問」(1716年)
において奈良に存在する大和国説を説いたが、後に著した「外国之事調書」では筑後国山門郡説を説いたことに始まった。
国学者の本居宣長は「卑弥呼は神功皇后、邪馬台国は大和国」としながらも「日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない」という立場から、「馭戎概言」(1796年)において、九州の熊襲による偽僭説を提唱し、崇拝する天皇家の先祖を冒涜した。
すなわち、大和朝廷(邪馬台国)とはまったく別でつながることはない王国を想定し、筑紫にあった小国で神功皇后・卑弥呼の名を騙った熊襲の女酋長であるとするものである。
それから、長きにわたって邪馬台国論争を続けてきたが、所詮、「やまと」という字面のみから発生した名目論争で、「やまと」と似通った地名など掃いて捨てるほど存在し、世界中を探せば無数にあることが解っているのに、只々大和に持ってきたいがための初めに結論有りきの論争に過ぎなかった。
そのため、中国資料も『日本書紀』も合うはずが無く、嘘だ間違いだと偽書扱いだったが、私の分析で全てが間違いと言えないことを証明、邪馬台国は『日本書紀』が言う通り香椎宮に有ったことを証明、倭国は九州の筑紫大君の国で「古田九州王朝説」のような大国ではなく小国だったと証明した。
そして、日本は5千年以上前の『山海經』に出てくる君子国や大人国が始まりで、18年9月に丸木を彫ってできた船のみ海流を渡れたことを証明したニュースが有ったように、私が論じる天草周辺の倭国・山陰地方の大人国・北陸東海の君子国が共に船の出土する遺跡を持ちそれらの国が会稽・沖縄から北海道まで交流したと論じた私の理論を証明した。
ニュースのように「国立科学博物館などのプロジェクト」が述べる3万年前は本当に丸木舟が出来たか眉唾、後年台湾に出土するアンダーソン土器が沖縄に見つかったと聞いていないので、台湾に丸木舟が有ったか疑問で、一万数千年前なら、栫ヶ原出土の丸ノミ磨製石器が有り丸木舟を作成可能だ。
そして、大人国は事代主が支配した国、君子国は建御名方の支配した国と考えられ、神話で大巳貴が二神を追い出したのが最初の国譲り神話で、『先代旧事本紀』には「大巳貴神坐倭國城上郡大三輪神社」と記述している。
そして、その三輪山の地の王だったのが武埴安で建御名方と漢字は異なるが神話の時代は漢字などないので、ひらがななら同姓で、弟の大彦が打ち破って物部氏の王朝が始まったと述べた。
大彦は弟宇迦であり、弟倉下であり、弟磯城でもあり、更に、磯城彦・葛城彦・羸津世襲でもあり、多くの初代の天皇の片腕の配下となったが、実際は別人で、それと同じくらいの神武天皇が存在した。
弟宇迦の上司の神武天皇の大巳貴・大国主・火瓊々杵の三人は「底津石根宮柱」を建ててもらい、更に、火火出見・狭野・若御毛沼・豐御毛沼などが神武天皇に当たる。
神武天皇が4人いたように、その他の天皇も複数の天皇が存在し、大臣・大連・大彦をはじめ、耳・首・主・造にも大が付いた王権があったと考えられ、『隋書』でタリシヒコは大王(大君)と呼ばれていて、王と君は共にキミで漢字の当てはめの違いだ。
神々の中で国々の中の中心国の大国の神が大神となった前例から使ったと考えられ、大神も・大宮も大社も大殿も同じ用例で、天皇も大臣・大連・大君(大王)の中の一人の最上位の人で大天皇は存在しない。
大人国の大人も倭語の「おおひと」を中国人が大人に字をあて、極東の標準文字の漢字を日本側が受け入れたことは大いに考えられる。
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