ここで、中国史書の里単位を確認するが、一般に1里は現在中国では500mだそうで、日本が4Km、朝鮮が400mで、中国古代も朝鮮と同じく400mと言われ古代の中国の単位が現代でも朝鮮でいきづいているが、日本では8世紀頃の曲尺が若干短いので500m余だった。
後に1時間に歩く距離を1里としたが、まさしく『隋書』の「夷人不知里數但計以日」と中国の里単位を知らないから日数で距離を測ると記述しているが、この記述が影響したのだろうか。
そして、『隋書』は「其國境東西五月行南北三月行各至於海」と記述しているが、長崎県平戸から千葉県銚子までナビで距離を測ると約1500Km、南北は測れないため屋久島から佐渡ヶ島を同経度で測ると900Km程度で一月300Km、おそらく、重い荷物を担いだ日程なのだろう。
さらに、『三国志』「東行至不彌國百里・・・南至投馬國、水行二十曰」と不彌国から投馬国間
水行二十曰とあるが、不彌国を志賀島で投馬国を枕崎市として沿岸水行(壱岐・唐津間の直線距離は40Kmと短く沿岸水行なら50Kmとなる)すると約630Kmで水行十曰300Km程度で『三国志』「女王之所都、水行十日、陸行一月」「自郡至女王國、萬二千餘里」、すなわち、
萬二千餘里は600Kmで一里50mである。
先に書いたとおり、壱岐の面積138.6㎢で壱岐を円形とすると直径13.28Kmで「至一大國・・・方可三百里」と直径三百里なので一里44m、実際に壱岐勝本浦から印通寺浦まで16.5Kmで一里50.5㎝と正しく、ここでもまた、一里50mが証明された。
そして、方三百里は三百里の正方形に収まる最長三百里の意味で、古田氏が言う半周六百里なら水行で陸行していないことになってしまうことを述べたが、「末廬國 有四千餘戸濱山海居 草木茂盛行不見前人」と
末廬国が浜辺や海上に住み陸地内は草木が茂って歩けないと、領内陸行していないのに対し、「對馬國・・・土地山險、多深林、道路如禽鹿徑」・「一大國・・・多竹木叢林 有三千許家 差有田地耕田猶不足食亦南北市糴」と領内を記録している。
海路の一点航行だと250Kmで100Km長くて距離が合わず、やはり、国境間最短ルートを使い、領内を陸行していないと辻褄が合わない。
ここで、魏使は船行なら二十日でこれたものを四十日もかけて来倭したのは不思議なのだが、距離の記述が国境間だったことから、領内は末廬国を除いて必ず歩行と言うことが解り、すなわち「
陸行一月」はすべて倭国領内で、水行の残り150Kmは倭地ではない、陸行の残り150Kmは韓地の倭領だと考えられる。
そして、『三国志』「南有狗奴國 男子爲王其官有狗古智卑狗 不屬女王」と邪馬台国の南は倭国ではないから南の投馬国は水行で記述していると考えられる。
この項で、最初に『隋書』を持ち出し、倭人は里数を知らないことを述べたが、同時代の史書『梁書』、隋朝の前の王朝の史書には里数が出てきて、日本人僧が『梁書』「説云 扶桑在大漢國東二萬餘里」と述べていて、カナダに有るというのだから、確かに日本人は里数を知らないと言われても仕方がない。
しかし、日本人が一里50mを使っていることを自覚していて、日本人は二千五百里と魏の里単位で言ったのであって、『梁書』の筆者は日本人が八分の一の短い里単位を使っていることを知っているので、日本人が述べた二千五百里を日本人は8倍した「二萬餘里」で使用させていると解釈した。
すなわち、日本人僧は大漢国の東125Kmに扶桑国があると述べていたのであって、「文身國 在倭國東北七千餘里」も約九百里45Km、「大漢國 在文身國東五千餘里」も約六百里30Kmと考えられ、倭国から45Kmの倭国糟屋郡の東北にある文身国の国境は北九州市で『山海經』の三身国と呼ばれた九州の分国のような名前で、大漢国国境は周防、扶桑国の国境は吉備と想定される。
文身国が後の倭国で糟屋の屯倉を得た国、大漢国が安芸から熊襲征伐に出陣した本拠で広国すなわち「廣國押武金日・武小廣國押盾」の広国で、蘇我氏は東漢直駒の義父で安芸の皇子かもしれず、吉備は『日本書紀』に臣下として出現する旧日本の本体に含まれ、梁建国時の500年代初頭の状況だ。
隋朝は『隋書』「上遣文林郎裴淸使於俀国」と裴清が来日していて、実際に距離をしり、「
夷人不知里數但計以日」と倭人は里数を知らない、すなわち中国の里単位を知らないから、日数でしか図ることができないから、『梁書』の里数は全くの間違いと記述したのである。
そして、『旧唐書』「去京師一萬四千里 在新羅東南大海中 依山島而居 東西五月行 南北三月行」と長安から一萬四千里5600Km若干距離が長い気がするが、実際の道程とすればこの程度は有るかと思われ、日程の東西五月、南北三月は『隋書』と同じで、『隋書』は俀国と倭国と秦王国を含めた領域を俀国伝で記述していて、その三国を併せた領域が東西五月南北三月ということだ。
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