私は、『古事記』をはじめ編年体風に書かれた『先代旧事本紀』・『日本書紀』も含めて紀伝体で書かれている述べてきた。
そして、神武天皇を筆頭にすべての1天皇は1人でなく複数人存在し、私は天皇というのを夫婦と長男と姉妹を一纏めにした家が天皇で、大小の王朝を創始した家を複数一纏めにしたものが神武天皇なのだと主張してきたので、神武天皇すらも一王朝で複数人存在し、「四方志」を書いたように四王朝以上の王朝の神武天皇が存在するからだ。
天皇は義兄弟と婚姻したと記述するが、姫は財力がある限り家から外に出ることは少なく、婿を取って生まれた姫は本家の長男にとって義兄弟となり、現代で言えば従弟にあたり、長男の長男も神武天皇だ。
姫を天皇に嫁入りさせるのは、天皇に臣従した証で、王朝が変わるときは、新しい王が婿入りし、婿入りした宮が首都となる。
隠岐の島後を「大島」、その神を始祖神として「大神」とよび、その民を「大人」、その国の中の中心国を「大国」、「大国」と同盟する国々の王を「大王」・「大臣」・「大連」とよび、出雲国は大国の領国で大国が支配する領域が「日本」だ。
中心国を大国と呼び、祀る神を大神とよぶ国神達を取り込んだ新しい国家、いわゆる縄文人と弥生人の混血国家、漁師の小さな島に住む人々と大きな領土を持つ農耕の民との混合国家を誕生させたのが神武天皇と呼ばれる人々だ。
日本には古代を記述した史書が3冊残っていて、それは、『古事記』・『先代旧事本紀』・『日本書紀』の3冊で、そこには日本建国の王が記されている。
その王の名前は『古事記』が「若御毛沼命、亦名豊御毛沼命、亦名神倭伊波礼毘古命」、『先代旧事本紀』が「日本磐余彦天皇亦云彦火火出見尊即少年時号狭野尊」、『日本書紀』が「神日本磐余彦尊諱彦火火出見」と名前は一定しないが、「磐余彦」は同じだ。
私は『古事記』を読んで王名に亦の名があることに違和感を感じたが、なぜなら、王というのは本来1人で名前すら呼ばれることが無いはずなのに、複数の名前が付けられているということは、区別しなければならない王が存在することを意味するのである。
諱などと後代の風習と同じ言葉のため、古代に当てはめて知ったかぶりをしている学者がいるが、諡号なら公に発表するから解るが、だれも知らない生前の名前なのに皆が知っているという重大な矛盾を生じてしまい、本来『法隆寺金堂薬師如来像光背銘』「池邊大宮治天下天皇」のように宮名で天皇を呼ぶ。
『日本書紀』の諱も神武天皇以外の天皇では「億計天皇、諱大脚 更名大爲」と仁賢天皇のみ出現し、どちらかと言えば幼名や改名前の名に近く、この億計天皇
は『隋書』に「名國王爲乙祁」と名前を堂々と慧深が述べていて、諱と更名も意味合いが違うようだ。
しかも、「神日本磐余彦」などという如何にも「神日本」という国の「磐余」という邑の邑長のような名前が付けられていることに違和感を感じざるを得なかったし、さらに、史書によって出発地も順も人も違うのである。