2018年7月11日水曜日

最終兵器の聖典 天降り・国譲り2

 『先代旧事本紀』で「先産生淡路州為胞意所不快故日淡道州」としているのも『古事記』と同じ用例で淡路島を「磤馭盧嶋」にしたことを意味し、「高皇産靈」を「伊弉諾・伊弉冉」と同等の国を産んだ神としているのだから「高皇産靈」は「淡路島で国産みした」と記述した神話が有ったのだろう。
淡路島を支配する「高皇産靈」の姫「栲幡千千姫」と「天照大神」の子の「押穂耳」の子の「饒速日」が『先代旧事本紀』の「饒速日尊襄天神御祖詔乗天磐舩而天降坐於河内國河上哮峯則遷坐大倭國鳥見白」と東鯷国に倭人として初めて侵入して、「長髓彦妹御炊屋姬爲妃誕生宇摩志麻治尊」と長髓彦が支配する土地の姫御炊屋姫との間に宇摩志麻治が生まれ、東鯷国王の閨閥に入った。
「飛降者是饒速日」と 天降らず飛降りたのは跳躍するように自領ではない土地を飛び越えて「飛降」と表記しただけで、空から飛び降りたのではなく、軍隊では他国領を通過すれば戦乱となるので、軍隊ではなく大和に1人で婿入りしたに過ぎないと思われる。
長髓彦の国は中国では「東鯷国」・自分たちは「神(シン)国」と呼んで銅鐸を祭祀の中心として『漢書 地理 呉地条』に「會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云」と記述され日本海に東鯷人がいて銅鐸が見つかる地域は東鯷国の領域と考えら、前項の『山海經』に出現する「大人国」・「君子国」・「三身国」などの連合体だ。
『古事記』の「神八井耳命者・・・火君大分君阿蘇君・筑紫三家連・・・伊余国造・科野国造・道奥石城国造・常道仲国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹波臣・島田臣等之祖也」などは東鯷国を含み、「長狭国」は「淡道之穂之狭別島 」の対岸の国、「火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連」は『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王」、続いて『三国志』の「其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王」と倭国の東から南に押しやられた「拘奴國」の領域と重なる。
穂日の出雲国譲り、稚彦の葦原中国の国譲り、忍穂耳の伊都国の国譲り、饒速日の大倭の国譲りが3書によって終わり、忍穂耳の子の火瓊瓊杵が伊都国、穂日が出雲、饒速日が神倭の王となったが、実際はその地に見染められて婿入りした程度と思われる。
そして、『古事記』に「天菩比命之子 建比良鳥命此出雲国无耶志国上菟上国下菟上国伊自牟国造津島県直遠江国造等之祖也 天津日子根命者凡川内国造額田部湯坐連茨木国造倭田中直山代国造馬来田国道尻岐閉国周芳国倭淹知造・高市県主蒲生稲寸三枝部造等之祖也」と国譲りされた出雲は山口県から関東を領有する大国だったことが解る。
上記の神八井耳と菩比と天津日子の「国」は16国で君がいる王国が3国そして出身国大国で併せて21国は『漢書』の「會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云」と符合する。
また、国譲りも大国主から譲られたとしているが、内容は「事代主」を自殺させ、「建御名方」を「科野国之州羽海」に追放して『古事記』の「出雲国之多芸志之小浜、造天之御舎」と宮殿を大国主のために造っていて、あたかも「事代主」と「建御名方」から国を奪って「大国主」が出雲の王になった説話としか読めず、「大巳貴」の子たちから「大国主」が国を奪った説話なのだろう。
国譲りされた「天津彦彦火瓊瓊杵尊」は王の名ではなく「天津彦」と官名を持っていて、実際は「天降於日向襲之高千穗峯」と高千穗に大国主の命令で赴任した程度なのだろう。
「饒速日」が天降った後、『古事記』の神武天皇の「若御毛沼命、亦名神倭伊波礼毘古」が安芸から三輪神を崇拝する土地に侵入し「宇摩志麻治」と友好関係を持ったと考えられ、「神倭伊波礼毘古」・「神沼河耳」と「神国」に従属して耳の官名ももらって、神国の配下となっている。

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